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【 3.11から4年、18,000人の犠牲者、再建できない生活、進まない復興 】

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所要時間 約 12分

巨大地震と巨大津波、原子力発電所事故、世界を震撼させた3重巨大災害
恒久的な住居を手に入れたのは全体の15%、長期に渡る避難生活により健康を損なう被災者
1兆8,000億円以上をつぎ込んでの除染、築かれた放射性廃棄物の山、しかし進まない住民の帰還

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 3月11日

黙とう
4年前東北地方の太平洋沿岸地区を壊滅状態に追い込んだ津波の2万人近い犠牲者の冥福を祈り、3月11日日本中で人々が黙とうを捧げました。

しかし東京都内で開催された追悼集会においても、そして未だに不毛の地と化したままの沿岸地区一帯においても、25万に昇る人々が家を失った現実と遅々としてすまない復興に対するいらだちがその場の空気を微妙なものにしていました。

2011年3月11日、日本史上最大規模の地震が引き起こした津波が東北地方を中心とする太平洋岸に押し寄せ、市も町も村もすべてを破壊し尽くした挙句18,000の人命を奪い去り、福島第一原子力発電所においては3基の原子炉がメルトダウンするという巨大災害を引き起こしました。

東京で開催された式典では天皇。皇后両陛下が津波で犠牲になった人々に追悼の辞を捧げ、福島第一原発の事故によって故郷に帰れなくなってしまった120,000人の原発難民を含む230,000人の自宅を失ったままの人々に対する励ましの言葉を述べられました。

防災庁舎遺構
午後2時46分、4年前マグニチュード9.0の巨大地震が発生した時刻に合わせ、日本国中の人々がその場でしばらくの間黙とうを捧げました。
未だに何も無いままの沿岸地区では津波の警報サイレンが鳴り響き、第二次世界大戦(太平洋戦争)以降最悪の災害が発生した恐ろしい瞬間を思い出させるように不気味な音を鳴り響かせました。

津波によって最大の被害を受けた都市のひとつ、石巻市からやって来た女性が次のように語りました。
「私は犠牲になった方々の事を決して忘れないという思いを込めて黙とうしました。私たちは今、被災地で精いっぱい頑張って生きているつもりです。」
「実際にはこの4年間、復興は思うように進みませんでした。しかし被災者になった人々はできる限りの努力を続けており、私たちもそうあるべきだと考えています。」
彼女の息子さんが、こう付け加えました。

しかし10万人を超える津波被害者のための住まいを確保するのは容易なことではありません。
政府や自治体の機能不全、上昇を続ける建設コスト、そして津波に襲われやすい沿岸地区から高台への集団移転など難問が山積する中、その進捗は苛立たしい程ゆっくりとしたものでした。

石巻04
津波による被害が最もひどかった岩手、宮城、福島の3県の津波被災者、福島第一原子力発電所事故の原発難民のうち、恒久的な住居を手に入れることができたのは全体の15%、29,000世帯に留まっています。

長期間に渡る被災者としての暮らしは、人々の健康を損ないました。
災害発生から4年、政府の記録によれば、激変した生活環境のため持病の悪化、自殺などにより3,200人以上が亡くなりました。
このうちの多くが高齢の人びとです。

復興事業が遅々として進まないという批判を受け、安倍首相は津波によって壊滅した市町村の再建と福島第一原発の事故による放射能汚染を取り除くための新たな5か年計画について、この夏にも公表することになっています。

「復興事業は、すでに新しい段階に入っています。」
そして東京でオリンピックが開催される2020年には、復興事業の完了が期待できると語ったのです。
「私たちは被災者が自立できるよう支援してまいります。政府として出来得る限りの支援を行います。」

NBC 5
福島第一原発から20kmの避難区域の外側の一部住民に対しては避難命令が解除されましたが、約120,000人に上る人々は、原発難民として仮住まいのまま4年の月日が経ってしまいました。

日本は福島第一原発周辺の市町村の放射線量を下げるためにすでに1兆8,000億円以上をつぎ込みました。
そして被災地域内の88,000カ所の仮置き場がいっぱいになる程の放射性廃棄物の山を築きました。

「避難中の住民が帰宅できるよう、数多くの作業員が除染作業を行うため集まりました。しかし彼らの作業内容を子細に検証してみると、事態が絶望的なことが解ります。」
住民避難が行なわれた飯舘村で、独立した立場で放射線量の測定を行っている環境問題の専門家である伊東信義氏がこう語りました。

「我々は除染作業にかかるコストまでは解りませんが、たとえ除染作業が完了しても、住民が帰還して再び生活を始めるほどには放射線量が下がっていない事だけは明らかです。」

NBC 4
幼い子供たちを持つ若年層の家族は、長期間に渡る放射線被ばくによる健康被害を恐れ、福島県内から日本各地に散り散りに去っていきました。
被災地近くの窮屈な仮設住宅に残されたのは、熟年世代から高齢の住民ばかりでした。

福島第一原発の事故によりゴーストタウンにされたしまった市町村のひとつ、富岡町の元教員で現在は引退している遠藤道人氏は、故郷には二度と戻ることはできないだろうと考えています。
「私たちはよく山の中を歩いては、そこに湧き出している清水を飲んだものでした。この町で暮らしている限り、世の中に対する心配事などは無く、どう楽しく暮らしていくかを考えていればよかったのです。」
「でももう、何もかもが不可能になってしまいました。想像することもできません。東京電力と日本政府が、なぜこれほど多くの原子力発電所を建設したのかを考えるとき、私は心底怒りを覚えます。」

チェルノブイリ以来世界の最悪の原子力発電所事故を起こした福島第一原子力発電所では、最近破壊された4号機の核燃料プールからの使用済み核燃料ユニット1,300体の取り出し作業が完了し、明るい材料として紹介されたのもつかの間、さらに多くの大量の高濃度の汚染水漏れの事実が明らかにされ、楽観的ムードも吹き飛びました。
この汚染水は福島第一原発の敷地いっぱいに設置された貯蔵タンク内に収まっている約200,000トンの汚染水とは、また別の問題なのです。

110802
メルトダウンした3基の原子炉から溶け落ちた核燃料を取り除く作業は、未だ始まっていません。
この作業には40年以上の歳月、そして数百億円以上の費用がかかると見られています。

福島第一原子力発電所の事故収束・廃炉作業についてほとんど進展が見られないにもかかわらず、停止中の国内の原子炉の再稼働を勧めようとする安倍首相の姿勢に対し、国内外の批判が高まっています。

日本国内の稼働可能な48基の原子炉は、福島第一原発の事故後に導入された厳しい安全基準に適合しているかどうかの審査を受けるため、すべて停止しました。
原子炉の安全性を審査する原子力規制委員会は、南日本にある九州電力・川内原発の2基の原子炉の再稼働を承認しました。
しかし地元では反対運動が続いており、ここ数か月以内に再稼働を実現したいという安倍政権の計画に狂いが生じる可能性もあります。

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日本の原子力発電を支持する勢力は、ひとつは化石燃料を輸入するための費用が増大していること、もうひとつには二酸化炭素の排出量削減のため、ある程度の数の原子力発電所を再稼働させなければならないと主張しています。

http://www.theguardian.com/world/2015/mar/11/japan-remembers-the-18000-victims-of-2011s-triple-disaster-fukushima
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この記事を読んで感じたことは、福島第一原発事故、東日本大震災の復興に関する安倍首相のコメントと言うのは、どこまでなら潤色が許されるか、利害得失に基づく行動をどう表現すれば正義の行いとして受け止めてもらえるか、その点が重要視されているということです。
その最たるものが、福島第一原子力発電所の状況について当事者の東京電力すら正確に全体の状況をつかめていないのに、オリンピック誘致のため『状況は制御下にある(under control)』 と発言したことでした。

放射線の健康被害についてその危険性を指摘する場合には、『科学的根拠』について極めて厳格に追及するにもかかわらず、「大丈夫です」と発言する際には最大限の潤色が許されるというのでは、ダブルスタンダードも極まれりと言うしかありません。

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【 津波発生から4年、いまだに続く行方不明者の捜索 】

アメリカNBCニュース 3月11日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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2011年3月11日の東日本大震災の被災者は未だに災害の後遺症に苦しみ続けています。
2015年3月11日に宮城県石巻市、犠牲者の慰霊祭で津波の犠牲になった人々のためにろうそくに点灯する幼児とその母親。
この日、日本中の数万人の人々が、19,000人もの命を奪った東日本大震災を心に刻み込むため、犠牲者に黙とうを捧げました。(写真上)

東京で開催された慰霊祭の会場で涙を流す女性。(写真下・以下同じ)
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福島県浪江町で東日本大震災によって命を落とした両親に花束を捧げる家族。
浪江町は3基の原子炉がメルトダウンの事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所近くの町です。
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東京で開催された慰霊祭で、ろうそくに点灯する女性。
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津波に襲われ街が壊滅した宮城県名取市閖上地区で、空に放たれる鳩の形をした風船。
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海岸線に沿って群生していた70,000本の松の中で、津波の襲来後もたった一本生き残った陸前高田市の『奇跡の一本松』。
しかし塩害により立ち枯れそうになったため2012年にいったん伐採され、防腐処理を施された後、元の場所に戻されました。
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宮城県七ヶ浜町の海岸で行方不明者の捜索を続ける警察官。
毎月11日に岩手県から派遣されてくる警官たちが、犠牲者の遺品の捜索を続けています。
被災地の海岸沿いには、未だに東日本大震災の生々しい傷跡が残り、多くの人々が立ち直れないままになっています。
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http://www.nbcnews.com/news/world/japan-still-searching-tsunami-victims-four-years-n321486

 

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