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【 追いつめられる福島の母親たち 「まだ何も終わってなどいません」】

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所要時間 約 13分

アメリカABCニュース 3月11日

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ちょっと想像してみてください。
目にも見えず、色も臭いもない物の恐怖から自宅を捨て、友人たちとも離れ離れになり、あなたの夫とすらも別れなければならない状況を。
それこそが巨大津波により原子力発電所がずたずたにされた後、福島を避難しなければならなくなった母親たちを見舞った運命なのです。

先週、こうした母親たちの2人から話を聞くことができました。

▽福島からの避難

2011年3月11日、マグニチュード9.0の東北太平洋沖地震が東日本を襲い、その30分後巨大な津波が沿岸地方に押し寄せ、逃げ遅れた20,000人の男性、女性、そして子供たちをのみこんでその命を奪いました。

津波警報が解除された後、人々はこの津波がもたらした誰も予測できなかった、本当の恐怖が始まってしまったことを思い知らされることになったのです。

最初の地震から数分間のうちに襲った余震により、千葉県の石備蓄基地で火災が発生するなど、無数の余震が日本の国土を襲いました。
仙台空港は水没してしまい、津波の被害に遭った人々は行方不明になった家族などの捜索に懸命になっていました。
そして福島第一原子力発 所の爆発のニュースが日本国内はおろか、世界中を恐怖に陥れました。
そして今日に至ってもなお、この事故の状況は極めて深刻なままです。

富塚ちあきさんは、福島第一原発から36マイル(約60km)の福島県内の場所で暮らしていました。
彼女はすでにチェルノブイリで起きている恐怖についての知識があったため、福島で放出された放射線の量はチェルノブイリの10分の1であるという日本国内の報道にもかかわらず、10歳の息子の健康を心配していました。
彼女と夫はただちに福島から脱出すべく準備を始めましたが、ことはそう簡単には運びませんでした。
「事故からしばらくたって、友人たちが子供を連れて続々と福島を出て行きました。でも私たち家族は脱出できずにいました。鉄道は打ち続く余震のため不通になっていましたし、自家用車にはほとんどガソリンが入っていなかったのです。」

地震と津波が襲った後、真っ先に欠乏したのがガソリンでした。人々は給 油を行うというガソリンスタンドに夜明け前から列を作って並びましたが、たちまちに売り切れとなり結局無駄足に終わる場合もありました。そしてまた次の日も、運さえよければ手に入るかもしれない、と列を作って順番待ちをしました。
冨塚さんは福島第一原発の爆発から11日後の3月23日、 やっと彼女の両親が住んでいる神奈川県まで行けるだけのガソリンを、自家用車に給油することができました。
そしてその日以来、冨塚さんは息子のゆりくんと一緒に横浜市内の借り上げ仮設住宅で暮らしています。
夫は仕事があるため福島県に留まることになりました。
「お父さんと会えないのはつらいです。」
息子のゆり君が語りました。
「でも脱出することは良い 決断だったと思っています。僕だって将来放射線のために病気になりたくはないし、長生きしたいし、それに両親を安心させてあげたいですから。」

しかし彼女が住んでいる借り上げ仮設住宅には、来年までしか住むことが許されていません。しかし冨塚さんは期限がきた後のことなど考えたくもない、と話します。
「今はまだそのことを考える余裕はありません。今のことだって手に余る状況ですから。この上将来のことまで心配し始めたら、本当に病気になってしまいます。」

彼女の唯一の心残りは、友人や近所の人たち、そして息子が通っていた学校の先生にちゃんとお別れの挨拶ができなかったことでした。
恐怖と故郷を捨てるという罪悪感がないまぜになりながらも、それでも冨塚さんは正しい決断をした、と思っています。


▽避難区域は、必要なだけの広さ設定されたのか

春になると美しい花を咲かせる桜の樹木が至る所にあり、美しい景観にあふれた福島県。
しかし今やフクシマという言葉は、放射線の危険性の代名詞となってしまいました。
事故を起こした福島第一原子力発電所は1945年に広島に投下された原爆の168倍にのぼる放射線をまき散らし、原子力事故に関する国際基準において、これ以上ひどい事故は無い、という最高のレベル7に分類されました。

日本政府は原発の周囲半径20kmの幅で「避難区域」を設定し、80,000人が避難するよう命令されました。この半径内に含まれた市町村は無人のままゴーストタウンと化し、時間が止まってしまいました。
誰もいない通りで信号が点滅を続けています。コインランドリーの店内には半分取り出された洗濯物が、かごの中に残っていました。
生活の兆候は全く感じられません。

▽ 避難した人々は何十年も帰郷できない可能性があります。

避難区域のすぐ外側に住んでいた人々は、避難区域の外側なら安全だという政府の見解に誠実さは感じられない、として信用していません。
確かに放射線量は下がってきていますが、それが誰にとっても安全な数値なのかどうかはわからない、と話しています。
政府による助成、あるいは 福島第一原発を運営してきた東京電力の補償が無ければ、彼らがこの地を去るのは無理だと語っています。

若い家族は彼らの子供たちが高レベルの放射能にさらされ続けることを恐れる一方、家のローンやその他の借金のためこの地に縛られています。
もはや彼らが住んでいた家は売り物にはなりません。
そして移住先での仕事が保障されなければ、とてものこと出ていくことはかなわないのです。

避難を命じられた人々は、毎月東京電力から金銭補償を受けています。
しかし自らこの地から避難することを決断した人々には、ほとんど補償はありません。
東京電力は一回限りを条件に子供たちと妊産婦には一人400,000円、その他の大人には一人当たり80,000円の補償を支払うと表明しました。

▽ 1年が過ぎて

先週の水曜日、冨塚ちあきさんと彼女の息子のゆり君、深川けいこさんと彼女の息子のかいせい君 – いずれも福島県からの避難者 - が、 女性の地位に関する第56国連委員会と連携して開催された、東京に本拠を置く非政府組織[ヒューマンライツ・ナウ]が主催するフォーラムで、自分たちの健康上の懸念について話しました。

原子炉が爆発したとき、深川さんは福島県郡山市に住んでいました。
冨塚さんは2人の幼い子供、4歳と7歳の幼い子供たちを連れて自発的に避難をしましたが、2011年6月にこうした母親たちが集まり、『福島 避難母子の会』という市民グループを設立しました。

この組織は、若い母親たちが自分たちの子供たちに将来起こり得る危険性について、素直にその不安を口にできる場を提供し、いまだに残っている放射線の危険性を 訴え、原子力業界への抵抗を示すためのデモ行進や座り込みなどの運動を組織しています。

今回の福島第一原発の事故が起きる以前、自分の故郷について考える機会というものはあったか、と尋ねてみました。
「巨大地震が襲い、何もかもが津波にさらわれてしまうのを目の当たりにして、私自身が持っていた物欲のようなものはきれいさっぱり無くなりました。私は今、生きてここにいられることに感謝する気持ちで一杯です。」
深川さんはこう答えました。

冨塚さんと深川さんは子供たちをそばに置きながら、福島第一原発がまき散らした放射性物質は、いまだに多くの人々の生活を脅かし続けている、その事の証人として話をしているのです。

「福島第一原発の爆発から1年が経ちましたが、まだ何も終わってなどいないのです。どうか私たちの存在を忘れないようにしてください。」
冨塚さんが最後にこう締めくくりました。

http://abcnews.go.com/International/evacuating-fukushima-earthquake-tsunami/story?id=15890249

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今日、福島県楢葉町にご自宅がある、という方からメッセージをいただきました。
実家が福島県大熊町にあり、家業ができなくなったために収入が途絶え、一家離散状態になってしまった知り合いもいます。
福島第一原発の周囲では数限りない悲劇が生まれ、人々を打ちのめしています。
もし自分がその立場だったら、そう考えたとき呆然となる他はありません。

福島の北にある私が暮らす宮城県では、福島第一原発の直接的な影響はより少なく、津波による被害からの立ち直りの問題が深刻でした。
しかしここに来て放射能汚染の問題のあるなしが、今後の行方を大きく左右する局面に入ってきました。
たとえば漁業。
3.11の 巨大津波は宮城県内のほとんどの港湾施設を破壊してしまいました。
すべての設備を元通りにすることはあきらめ、重要拠点を中心に復旧を進めることになりそうです。
しかし、収穫した魚介類に放射性物質による汚染の懸念がある場所では、インフラを整備したところで、肝心の商品価値は失われてしまっています。
いくら獲っても売れる見込みは無く、大汗をかいて、放射能汚染があるため処分にも困るごみの山を築くようなものです。

犠牲者の方々のことを別にすれば、津波はインフラを根こそぎ破壊しましたが、漁業という産業そのものは破壊しませんでした。
港が整備され、漁師の方が船を手に入れれば、その地の漁業の復活を始めることができます。
しかし、放射能汚染は何もかも、徹底的にだめにしてしまいました。
漁業従事者はおろか、たとえば
「日本人がカルシウムを摂取するのには、牛乳を飲むより小魚をたくさん食べた方が体に良い。」
という食文化も、被災地周辺では
「小魚を食べればセシウムなどの放射性物質を体に取り込む懸念があるから、外国製のカルシウム・タブレットで補った方が良い。」
とほとんど潰えてしまいました。
[http://kobajun.biz/?p=1760] でご紹介したエコノミスト誌の記事にあった
「原子力発電所は事故を起こせば人々の生活、人生、地域社会を破壊し、その生存を脅かし、その地に根ざした産業も根こそぎだめにしてしまい、国土までも汚染する」
その通りのことが起きてしまいました。

電気を作るための方法は原子力しか無いのですか?

ところで、この【星の金貨】をご覧いただいている方から
「取り上げている題材ごとに過去の掲載記事を分類し、分類した項目ごとに見出しを整理してほしい」
というご意見をいただきました。
私もその必要性は痛感しております。
何せ私自身どの記事がどこにあるか、探し出せるのはせいぜい最近の2週間程度までなのですから。
メインの記事ならまだしも、同じ日に第2、第3部として掲載した記事は、はじめから探すのはあきらめています。
が、食べていくため翻訳とは全く関係のない『生業』をこなしながら、記事探しから翻訳、校正まで一人(その先はもう一人スタッフがいます)でやっているので、その時間を取ることができません。
しかし、もともとこの【星の金貨】の目的の一つに、脱原発を目指す方々がいつでも自信を持って議論ができるよう、そのための資料を積み重ねるというものがありました。
である以上、分類による整理整頓は是が非にも必要です。

いつか必ず整理しますので、使いにくい点について、しばらくの間ご容赦ください。

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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