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【 福島第一原発、凍土策に対し膨れ上がる疑念と疑問 】〈後編〉

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所要時間 約 12分

失敗に終わった、凍結技術を使った汚染水の応用実験
フクシマでは何も終わっていない、本格的な事故収束・廃炉作業は始まってさえいない
深刻化する事故収束・廃炉作業の現場を維持するための、作業員数の維持・確保

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 7月13日

凍土壁02
東京電力は凍土壁と同じ技術を用いた汚染水を凍結させる対策において、すでに問題を引き起こしています。
汚染水が地下の排水溝に溜まり、凍結策の応用は無残な結果に終わってしまい、今後の展開に懸念が持たれています。
「これまでの3年間は難しい課題に取り組み続けざるを得ませんでしたが、一方では大きな前進もありました。」
福島第一原発の尾野マネージャーが今週、現地を訪れたガーディアン他のジャーナリストにこう語りました。
「我々の対応が万全ではないことは承知していますが、状況を改善するための取り組みは続いています。
大切なことは私たちが問題の内容を把握し、現在その解決のための具体的な取り組みが行われているという事です。」

福島第一原発では津波が押し寄せたことにより、非常用電源を含めたすべての電源供給を停止させてしまい、3基の原子炉がメルトダウンする事故が起きました。
この際4号機のみは原子炉内に核燃料は無く、使用済み核燃料プール内に約1,500体の核燃料アセンブリが保管されていましたが、東京電力はすでにこのうちの1,200体を安全に取り出すことに成功したと語りました。
小野マネージャーは残る核燃料アセンブリも、予定通りに行けば年内にすべて取り出し、より安全な格納場所に移し替えることが出来ると付け加えました。

しかし原子炉建屋の基礎部分に溜まっている高濃度の放射能汚染水を組み上げ、これを長期間安全に保管する課題については昨年、貯蔵タンクからの汚染水漏れのトラブルが相次ぎ、問題の深刻さを再認識させられることとなりました。
そしてトリチウム以外の放射性物質を取り除く浄化装置も、度々故障し、その都度工程を停止させざるを得ませんでした。

汚染水調査 1
現在は全部で3基ある浄化装置が稼働していますが、まだ試運転の段階である事を東京電力の広報担当の永野氏が認めました。
「私たちは来年の3月までには、福島第一原発の敷地内に保管しているすべての汚染水の浄化作業を完了させたいと考えています。」

小野マネージャーは、最近完成した地下水を汚染される以前にそのまま太平洋に流し込むための排水設備、そして地下の井戸とともに凍土壁が機能する予定であると語りました。

先月、日本の原子力規制委員会は東京電力が地下排水溝内の汚染水凍結作業における失敗について懸念を表明しました。
小野氏は、作業の失敗について認めた一方、その事が直ちに凍土技術が不完全なことを意味するわけではないと語りました。
「排水溝内の汚染水は、地下水と比較して私たちが考えた以上の早さで流動していたため、結果として計画通りに凍結させることが出来ませんでした。」
「しかし来年3月までには、排水溝内の汚染水も凍結させることができると確信しています。」

福島第一原発の事故収束・廃炉作業が危機的状況を迎えてから、東京電力は現場の作業員たちの士気の低下という問題と直面し続けています。
2011年3月の事故発生以来約3,000人がすでに退職、あるいは早期退職しました。
多くは原子力発電に背を向け、もっと重圧の少ない、そして給与条件の上でも恵まれている他のエネルギー産業に再就職しました。

GRD01
小野氏は現場で働く作業員を確保することの困難さを認識してはいますが、福島第一原発の事故収束・廃炉作業を行うために充分な人数を揃えることが出来ないという指摘に直接答えることはありませんでした。
「ある意味では、原子力発電所の事故収束・廃炉作業は後ろ向きの仕事です。しかし先例のない難しい課題に取り組むことは、前向きな努力であるはずです。」
このように語り、小野氏は最近配置された溶け落ちた核燃料の状況を明らかにし、それを取り除くために新たに設計されたロボットに言及しました。
「それは福島第一原発の現場で働く技術者たちに、希望と前向きな意欲を与えてくれるはずです。」

ここで働いている東京電力職員、そして下請け・孫請けの巨大なネットワークの作業員を合わせた6,000人が、世界で最も困難を極める事故収束・廃炉作業の完遂を見届けることになる、小野氏はそう主張します。
「廃炉作業の完了まで何年かかるのか、その確実な見通しを明確にするのは困難です。私たちが今予想しているのは30年、40年という時間です。」
「しかし私は、福島第一原発の従業員には強い使命感があると思っています、言ってみれば東京電力魂です。すべての世代の従業員が、それを心に抱いていると思います。」

〈完〉

http://www.theguardian.com/environment/2014/jul/13/doubts-giant-ice-wall-fukushima-nuclear-reactors
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この凍土策の問題と直接は関わりがありませんが、鹿児島県川内原発の再稼働について、7月17日付の河北新報の第4面に『再稼働思いとどまれ』と題した吉岡斉九州大学教授の評論が掲載されました。
以下はその抜粋です。

「政府もまた、原子力ムラの全関係者が将来にわたって利益を得られるように、東京電力福島第一原発事故以前の状態への復帰を目指してきた。」

「新規制基準そのものが、日本のすべての既設原発について、再稼働の許可を得られるよう規制委員会が配慮した不十分なものである。原子炉自体の構造的弱点の評価を行わず、付属設備の強化のみで良しとした。」

この指摘を見る限り、安倍政権が常々「世界一厳しい」と豪語する安全基準には、予めいくつかの『抜け穴』が用意されていたことになります。
こうした手段を用いての再稼働は、民主主義の原則を無視した暴挙のひとつであると言わざるを得ません。
滋賀県知事選挙の勝利に気を緩めることなく、私たちができることをさらに真剣に考えていきましょう。

もうひとつ、正論だと感じたのが田中秀征氏のダイヤモンド・オンラインの以下の記事です。
http://diamond.jp/articles/-/56228
ぜひ一度、お目を通されてみてください。

明日19日土曜日は掲載をお休みさせていただきます。よろしくお願いいたします。

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【 あのとき、戦場にいた人々の記憶 】〈6〉
学校を卒業したばかりの青年が、たった2ヶ月で150万人も殺されてしまった、それが戦争だった…

ニューヨーカー 6月5日(記事本文は再掲)
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

ww2-11
2010年、初めての個展を開催するためにロシアを訪れていたカメラマンのサーシャ・マスロフは、後に連作となる『戦争経験者』の最初の一枚になる写真を撮影しました。
ソビエト赤軍の航空整備士ピョートル・ドミトリヴィッチ・コシュキンの肖像写真でした。
こうして彼の4年越しの連作がスタートしました。
彼はこの間、写真撮影とインタビューを繰り返しました。
題材になったのは兵士だけではなく、医師、技術者、パルチザン、地下抵抗運動の参加者、そして捕虜。
そしてホロコーストの生存者と一般市民は、戦争のはざまで最も苦しんだ人々でした。

マスロフは私にこう語りました。
「人々はそれぞれの場において、戦争という衝撃的な出来事を、自分自身の膚で感じたのです。」

マスロフはウクライナ出身の30歳のカメラマンで、5年前ニューヨークに移り住みました。
『戦争経験者』という大作に取り組むことになった理由について彼は、生と死のぎりぎりの境を体験した世代の記録をしっかりと残したいという思いがあったと語りました。
そして彼は国籍の違いによって、『戦争』の体験が著しく異なることも記録に留めようとしています。
「この連作の中で、最も興味深かったのは地理的要因による運命の違いでした。」
どの国の出身であるかによって、人々を視覚的にはっきりと分けてしまう事が可能です。
私が撮影したすべての人が第二次世界大戦という、かつてない規模の巨大な事件の当事者でした。宇宙で起きたビッグバンのように、彼らは世界中至る所でこの巨大な事件の渦中に巻き込まれたのです。居間、寝室、そして台所でさえ、戦争と無関係ではありませんでした。

「あなたは、視覚的に人々がどこの出身であるかについて比較することができて、彼らの
マスロフにはここまで18カ国を旅し、写真集を完成・出版する前にさらにインド、オーストラリア、南アフリカ、そしてギリシャを周る予定です。

『戦争経験者』の写真を撮影していて、何が一番印象に残ったかマスロフに質問してみました。
「ある人々は大きな寛容を示しました。そして別の人々の中には尽きることのない憎しみが消えることなく残っています。その対比の極端なことには驚かざるを得ません。」

▽ケン・スミス(ポーツマス、イングランド、英国)
「イタリア前線に送り返された2、3日後、私はベネチアの南にあるコマッキオでもう一人の兵士と一緒にカヌーに乗りこみました。わが軍の艦隊の進入路を確保するため、掃海活動を命じられたのです。その日はちょうど私の誕生日でした。陸地でドイツ兵が活動していました。もはやガソリンが手に入らなくなった彼らは、馬と荷車を使って物資の輸送を行っていました。ドイツ兵が歩きながら歌っていましたが、私は思わずその歌声に聞きほれてしまい、知らず知らずに岸辺の方に近寄ってしまったようです。接近し過ぎた私たちに気づいたドイツ兵が発砲し始めました。
『まだ22歳になったばかりなのに!』
私がそう叫ぶと、同乗していた軍曹がこう怒鳴り返したのです。
『死にたくなければ、死にもの狂いでオールを漕ぐんだ!』」(写真上)

▽ レオン・レボウィッツ(テキサス州オースティン、米国)
「ドイツ軍と若干の戦闘をかわした後、若私たちはローマを占領しました。私は比較的少人数の部隊に所属していましたが、占領した後ローマ市内を観光しました。バチカン、コロシアム。
私は、ローマ人が残した数多くの遺物を見学する気満々でした。
我々が占領をしていた当時、一部のイタリア人は進んで協力してくれました。
彼らは、私たちから一般の食料品や軍用食料を受け取っていました。そうしなければ食べていけなかったのかもしれません。」(写真下)
WW2-12
http://www.newyorker.com/online/blogs/photobooth/2014/06/faces-of-the-second-world-war.html#slide_ss_0=1

 

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