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【 福島のゴーストタウン『復活』への取り組み 】

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所要時間 約 9分

人々を苦しめる仮設の暮らし

アレックス・ゾルバート / アメリカCNNニュース 12月23日


http://cnn.com/video/#/video/international/2012/12/24/japan-ghost-town.cnn

福島県飯舘村には、かつて6,000人が暮らしていました。
そして今、ゴーストタウンと化したこの村に、住人の姿はありません。
3月11日に襲った東北太平洋沖地震がきっかけとなり、福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンを引き起こした福島第一原発の事故の発生により、発電所の周囲40km圏内の住人はすべて避難を余儀なくされたのです。

日中は住民の帰還が認められるようになった飯舘村ですが、辺りはやはり不気味な雰囲気に包まれています。
無人の家の玄関ポーチにはさび付いた自転車がうち捨てられ、子供たちのおもちゃが前庭に散乱しています。
誰もいない表の道路を、緊急車両のトラックだけが走り去っていきます。

高齢の夫婦中野幸雄さん、まさ代さん夫妻にとって、この20カ月間ほどつらい日々はありませんでした。
中野さん夫妻は第二次世界大戦の終了直後この村にやって来ました。以来60年以上をこの村で過ごしてきました。
「とても口では説明できません。仮設住宅での暮らしがどれ程ひどいか、そして精神的苦痛がどれ程のものか。」

毎日の暮らしの困難は、妻まさ代さんの健康をも損なうことになりました。

「私はさびしいのです。それにもう、年を取ってしまっていますし。」
彼女が力なく言いました。
「こんな暮らしをさせられて、後どれだけ生きていられるのか…。毎日、そんなことばかり考えています。」

たった1つの建物、村の介護施設だけに、定住者がいます。
その家族と日本政府との協議の結果、施設に収容されている80人ほどの人々だけが、避難命令にもかかわらず、飯舘村の中で暮らし続けることになりました。

かつての飯舘村の住人佐藤美代子さんは、極めて明快な理由によって飯舘村の職場に復帰し、毎週働くことになりました。
「この施設に収容されているのは、この場所で人生を終えるしかない人々なのです。」
「私はここに収容されている人々を、家族のように大切に思っています。でもいつになったらこの村が元通りになるのか、見当もつきません。」

しかし何とかこの村を再び人が住み暮らせる場所にするため、取り組みを続けている人々もいます。
世界がかつて経験した中で、最も過酷な原子力発電所事故が引き起こした大規模汚染を、何とか取り除こうと努力を続けています。

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彼らは毎日毎日、同じ作業を繰り返します。
建物のひとつひとつを濡れた雑巾で拭い、道路の一本一本を高圧洗浄機を使って除染して行きます。

作業員たちは、福島県内の他の被災地と同様、飯舘村でも地面の表面を削り取る作業を行っています。
しかし東京都の面積を上回る原発事故被災地の表土をすべて削り取るなど、終わりが見える作業であるはずがありません。

そして削り取った汚染された表土を詰め込んだ数限りない土嚢をいったいどうするのか、その答えもありません。

放射線の専門家を含む批判的立場に立つ人々は、政府の行う除染作業について「意味がない」と語り、逆に圧縮空気や高圧洗浄器の使用により、汚染が拡大する恐れがあると語っています。

別の人々は、汚染されたままの森林などから風が吹きつける中、ボロ雑巾で建物を撫で回すことにいったいどれだけの意味があるのかと、疑問を投げかけています。
しかし飯舘村の菅野典雄村長はこのような指摘に対し、とにかく何らかの取り組みは行う必要があると
主張します。
「我々には除染に取り組み、座興を続けてこの土地の汚染を除く義務があります。私はそうした取り組みをあきらめるという考えを、受け入れることはできません。第一、飯舘村の住民がよその土地で人生を一から建て直すことなど、きわめて困難です。」

はじめに紹介した中野幸雄さんは、妻とともに飯舘村の自宅に帰ることに一縷の望みを抱いています。
「でも何時のことになるのやら。自分たちの未来について考えるなど、もうできなくなってしまいました。」
中野さんが寂しそうにこう語りました。

http://edition.cnn.com/2012/12/23/world/asia/eco-japan-fukushima-village-cleanup/index.html?hpt=ias_t5
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私が購読している27日付の地方紙に、東通原発の下にあるのは活断層である、と原子力規制委員会が結論を出したことに対し、東通村村長が「憤慨している」ことを伝える記事が掲載されていました。
原発が止まったままでは、村の経済が立ち行かなくなる、と言うのがその主張です。

私の知人に福島県大熊町出身の30代の男性がいますが、彼はこう語ったことがあります。
「福島第一原発の事故が起きる前、大熊町の町民は本当にいい暮らしをしていました。」
彼の実家は大熊町で自営業を営んでいましたが、彼自身は仙台で働いていますが、両親は家業を廃業し、京都市内で避難民として暮らしています。
「結末が解っていたら、もっと違う生き方をしたのに…」

私は、原発立地自治体の首長の「原発が無いと地元経済が立ち行かなくなる」と言う主張を聴くたび、こう尋ねたくなります。
「あなたがたの『政治』、あるいは『地方自治』というものは、原発について回る様々な補助金や交付金、寄付金などに頼りきる事なのですか?」
挙句、少数派の反対派住民に対しては、行政上さまざまな不利益を被るように仕向けることすらある。
そんな話を何かの本で読んだことがあります。

政治改革、国政だけの問題では無いことを痛感しています。

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【 これが古代文明、真上からの姿 】

アメリカNBCニュース 12月21日
(クリックすれば大きな画像をご覧いただけます)

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(写真)衛星写真によるマヤパンの遺跡は、森に囲まれています。この写真は2001年9月19日、ジオ・アイ社のイコノス衛星が撮影したものです。

メキシコのユカタン半島にあるマヤパン遺跡のこの衛星写真は、数百年前に起きたマヤ文明の黙示録の出来事を私たちにほのめかしているかのようです。

マヤパンはマヤ文明最後の首都の遺跡と考えられており、ユカタン半島で最大の遺構の集積場所でもあります。

チチェン・イッツァのトルテカ・マヤ系の支配者に対して反乱が企てられ、その勝利の後、マヤパンは建設されました。
遺跡内の最大の建造物はククルカンのピラミッド、すなわちエル・カスティリョですが、チチェン・イッツァの「カスティーヨ」の小型の複製です。
マヤパンにはマヤ文明を特徴づける多くの円形の建造物、そして天文台があります。
マヤ人は天文学的知識は、太陽および惑星の正確な運行状況を網羅しており、そのことは彼らをして正確な暦の制作を可能にしました。

マヤパンは13世紀にその絶頂期を迎えましたが、14世紀には内部抗争により徐々に衰えていきました。
最終的に、支配層の一族は大部分が殺され、マヤパンは略奪され、放火されて、ついにはほとんど放棄されてしまいました。
1500年になるまでに、こうした争いにより敗者は次々とマヤパンを追われて行きました。
ニューヨークのオルバニー大学のマヤパン考古学教室のウェブサイトにはこのマヤパンの盛衰について、詳しい説明が掲載されています。

ご覧いただいている写真は2001年に、ジオ・アイ社のイコノス衛星が高度681kmの上空から撮影したものです。
2012年12月21日、マヤの暦が予言したこの世界の終りは現実にはなりませんでした。
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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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