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【 津波の下に消えてしまったこどもたち : 3.11の想像を絶する悲劇の真相 】《5》

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所要時間 約 8分

生き残った子供たちが迷いながら口にした証言が、それまで誰も気がつかなかった過誤を明らかにしていった

関係者の経歴に傷がつかないよう、悲劇が起きた本当の原因に関する異議を封じ込めることを目的に組織された事故調査委員会

 

 

リチャード・ロイド・パリー / ガーディアン 2017年8月24日

大川小学校における悲劇の本当の惨状は、その後時間が経ってから明らかになりました。

その日学校には108人の子供たちががいました。

津波が襲いかかった瞬間、その場にいた78人のうち74人が亡くなり、11人の教師のうち10人が死亡していました。

 

その後、地震の後すぐに子どもたちを引き取るため学校に駆けつけなかった親たちは、激しく自分を責め苦しむことになりました。

しかし当時彼らがどのような状況にあったにせよ、子どもたちの安全を、そして命を守ることを最優先に行動したであろうことは間違いがなく、事態を軽視したとかどこかがだらしなかったなどという指摘は的外れです。

日本中どこにおいても自然災害に対する各家庭の備えは、国などが運営する学校よりもしっかりしています。

 

2011年3月11日、東日本大震災の地震と津波による犠牲者の数は約18,000人、その中で当時学校にいた子供たちは75人だけでした。

そして1人を除く全員が大川小学校の子どもたちだったのです。

 

佐藤かつらさんの娘さんのみずほさんは、大川小学校で起きた悲劇による犠牲者の一人でした。

「娘の葬儀の後、ですか?今はおおむね健康を取り戻しましたが、当時は病気になりました。」

かつらさんがこう語りました。

「私は起き上がることができなくなりました。3日韓寝込んでいました。そして繰り返し繰り返し娘を失った事ばかりを考え続けていました。そして段々、娘が命を失ってしまった当時の状況について強く疑いを持つようになったのです。それは確かに抗いようのない巨大な自然災害でした。当初私はこうした悲劇がたくさんの学校で起きたのだと考えていました。」

「でもそのうちに、そうした話が全然聞こえてこないのはなぜなのだろうと考えるようになったのです。」

北上川に沿ったいくつもの集落は、東日本大震災の発生から数週間を経て、ようやく息を吹き返し始めました。

そして他の親たちも同様の疑問を持ちはじめていたのです。

何が起きたのか、明らかになった真実は津波そのものとは対照的なものでした。

そこには巨大なクライマックスもなければ、すべてを破壊する波も無く、地軸が歪むほどの巨大な揺れもありませんでした。

真実は少しずつ、滴るようにしてその姿を現し、あるものは成り行きによって自然に、そしてあるものは人間の手で懸命に絞るようにした結果、現れ出てきました。

 

生き残ることができた子供たちが迷いながら口にした証言が、それまで誰も気がつかなかった過誤を明らかにしていきました。

そうした証言は結局『公式説明』の誤りの矛盾を明らかにする文書を形成することになったのです。

 

公式説明はそれ自体ぐらついたもので、何度も訂正が繰り返されました。

数ヶ月に1度、石巻教育委員会の公務員たちが開く、『新たな事実に基づく説明会』が開催されましたが、その都度彼らは子どもを亡くした両親たちの激しい怒りに直面しなければなりませんでした。

人びとは当初は気か進まぬ様子でしたが、自分たちが体験した事実について恐怖を込めて進んで証言するようになりました。

 

子どもたちの遺族の深い悲しみに人間として向かい合うことを拒否する市の職員たちの姿勢は、当初は市当局全体の機能不全やリーダーシップの不在という問題ではないと見なされていました。

しかし時間の経過とともに、両親は別の動機を疑うようになりました。

すなわち法的責任を認めたと解釈される可能性のあるいかなる言動も回避したいという脅迫観念にとりつかれているのではないか?という疑いです。

弁護士による遺族の感情を無視した助言は、市の職員たちすべての発言に反映されるようなりました。

市の職員たちは進んで深い悲しみと哀悼の意を表明しました。そして喜んでへりくだり、自分のような者は皆さんの悲しみを癒すだけの器ではないという態度を示しました。

しかし当事者の一員として特定の過失について責任を負うことや制度的欠陥、あるいは組織としての過失については誰一人として認めようとはしませんでした。

石巻市は、津波の23カ月後、大川小学校事故調査委員会の設立を発表しました。大川小学校事故調査委員会は1年をかけ、記録の点検と面接による聞き取り調査を行うことになりました。

こうしてまとめられた知見が2014年2月、200ページの報告書として公表されたのです。

 

委員会の使命は「検証」でしたが、その視野は詳細でありながら限られた内容のものでした。
報告書は起きた事実と原因を明らかにしていますが、決して個人的責任を特定する記述は何もありませんでした。
報告書は死者の数が多数に上った原因として校庭からの避難が遅れたこと、そして子どもたちと教師が最終的に津波から遠ざかるのではなく逆に津波が来る方向に逃げてしまったことを挙げました。

 

報告書によれば学校、教育委員会、石巻市の教育担当部署はこれほどの自然災害に対する準備は整っていなかったとしています。
津波の直接的被害を受けると想定されていた地域に、釜谷地区は含まれていませんでした。
学校の災害マニュアルの作成の際に津波に襲われる可能性は考慮されておらず、津波からの避難訓練も行われていませんでした。
そしてこうした学校の準備状況を確認していた地方自治体の関係者は一人もいませんでした。
報告書によれば学校の先生たちは「心理的に自分たちが重大な危険に直面していると認識することが」できませんでした。
これらのうち一つでも回避することができていれば、これほどの悲劇になることは避けられたはずだと、報告書は結論づけました。

しかしこの事件の最大の論争の的は、丘の上に避難したいと訴えた男の子たちについて沈黙していることです。
この少年たちは無視され、どこにも記述がありません。
2年もの間待たされた挙句、犠牲になった子供たちの両親に示された調査委員会の結論は、学校・教育委員会・石巻市当局はこれまでの見解を変えるつもりなどないということを再確認させただけでした。

 

この調査報告の真の目的は『独立した立場の』専門家たちが責任があるはずの関係者の経歴や評判に傷がつかないよう配慮を加えながら、遠慮がちに体制を軽く批判するという熱意に欠ける報告書を作成することで、悲劇が起きた本当の原因に関する異議を封じ込めることだった、両親たちはそう結論せざるを得ませんでした。

 

-《6》に続く –

https://www.theguardian.com/world/2017/aug/24/the-school-beneath-the-wave-the-unimaginable-tragedy-of-japans-tsunami

 

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