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【 汚染された故郷、再建できない生活、そして原発難民の帰還へ強まる政治的圧力 】〈後篇〉

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所要時間 約 8分

「安全な故郷」に向かうはずの道の脇に、延々と並ぶ放射性廃棄物の黒い袋
「原発被災者は元いた場所に帰れ」、そのために様々に『仕組まれる』補償制度
一度原発事故が起きてしまったら、満足な賠償・元通りの生活など望むべくもない

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 4月27日

2014年3月、安倍晋三首相が田村市を訪れた際、冨塚市長は原発被災者が充分な補償を得られるよう求める手紙を手渡しましたが、未だに回答はありません。

※写真
都路地区への帰還が開始されましたが、そこに続く道の両側には放射性物質に汚染された廃棄物を詰めた黒いビニール袋が大量に積み上げられています。
都路村住民03

住民同士の結びつきが強い日本の山間部や農漁村などでは、普段は訴訟などの係争ごとは敬遠されるにもかかわらず、都路地区では500人程の住民たちが東京電力に対し充分な補償を求める1~2の訴訟に、原告として加わっています。

多くの原発避難者、特に小さな子供たちがいる家族は放射線被ばくの懸念があり、かつての住居には戻りたくないと考えていますが、日本政府は都路地区は最早安全であると主張しています。

もともと都路地区は事故の際に、最も規模の大きな放射性物質の降下を免れており、付近と比較すれば汚染の程度がひどくない場所でした。
そこに1,300名の作業員が入り、土地の表面の土を削り取って新たに汚染されていない砂利を策など大規模な除染作業を行った結果、さらに放射線濃度を下げることができました。

最近の現地調査による放射線量は最高で毎時0.23マイクロシーベルトという値であり、これは事故以前の放射線量の3倍程度あり、避難区域に指定されている近隣の市町村と比較すれば低い値です。

しかしこの数値が人間にとって安全なものであるかどうかは、大いに議論のある問題です。

多くの専門家は、長期間被ばくを続けることが人間の健康にどう影響するか、経験も知識もほとんど無いことを認めました。

全域が避難区域となり住民が居なくなった市町村の中で、都路地区が再び人間が住めるようになったモデルケースになることを日本政府も福島県も期待していました。
現在のところ、帰還を果たした住民は全体の3分の1に留まっています。
その3分の1の人々の大半は、最早ガンの発症などそれほど気に病む必要が無いと語る年齢の高い人々です。

浪江06
2011年3月11日、地震と津波によって福島第一原発の冷却装置が機能しなくなり、都路地区の住民約3,000人は全員が次の日のうちに批難しました。
福島第一原発から20キロ以上離れた場所で暮らしていた大半の住民は、損害金として30万円を受け取り、半年後には自宅に戻っても良いとの通告を受けました

しかし大半の住民は戻りませんでした。
一部の人はその理由を店舗などの生活施設が再開していないことを理由に挙げましたが、多くの住民が放射線に対する懸念を主な理由に挙げ、未だに戻ろうとはしていません。

一方住んでいた場所が福島第一原発から20キロ以内にあった357人の住民については、事故発生から3年以上が経つ4月1日まで帰還が許されませんでした。
これらの人々は事故前の自宅の評価額の約半分に相当する、最も高い補償金を受け取りました。

その中に63歳の宗像国義さんがいます。
宗像さんは福島第一原発から南西15キロほどの場所にある農場で、壊れてしまった小屋を修理していました。
宗像さんは東京電力から受け取った補償額500万円では、祖父が建てた古い農家を修理するにはとても足りないと語りました。
板の間の床はひどく歪み、引き戸はもはや閉まりません。
しかし彼はここに戻ることも、去ることもできずにいます。

※宗像義邦さんが福島第一原発の事故発生以来、3年間打ち捨てられたままになっていた自宅の修理をしていました。(写真下)
都路村住民02
宗像さんは事故直後、最早この場所で生活することをあきらめ、北海道に渡りその場所でトラック・ドライバーとして人生をやり直そうとしました。
しかし蓄えも無く始めた再出発はたちまち金銭的に行き詰り、18か月後には断念せざるを得なくなり、被災者に対する月々の補償金を受け取るため、この場所に戻ってきました。

彼は3月に補償金が打ち切られてしまったら、その先生活して行けるかどうか自信が無いと語りました。
「結局、住民私は自宅を丸ごと捨てさせられた様なものでした。」
彼は引退前、福島第一原発で働いていたこともあり、放射線を特に恐れてはいないと語りました。
「補償金が欲しければここに戻って来るしかありません。しかしその金額は、この場所で生活を再建するためには、とても充電なものではないのです。」

キムさんと夫の水落聡さんは結局この場所に戻りませんでした。
2人は余生をこの場所で送るつもりで3,000万円をかけて自宅兼店舗を建てましたが、そのすべてが無駄になる事態が目の前にあります。

この建物の購入を前向きに検討してくれる人など現れそうにありません。
キムさんも水落さんも、この建物は実質的に無価値だと語りました。
しかし2人にはこのレストランを細々と経営する以外に生活手段は無く、借り上げ仮設住宅の家賃補償が打ち切られれば、この場所に戻る以外、選択の余地が無いだろうと語りました。

請戸09
「日本政府も電力会社も、事故以前と同じように原子力発電所を稼働させるため、すべてが元通りの状態に戻ったと言いたいのです。」

57歳の水落さんが、小さなレストランで妻の手伝いをしながらこう語りました。

「彼らは敢えて補償を充分に行わないことによって、被災者は元いた場所に戻るしかない、そのような選択をするように仕向けているのです。」

〈 完 〉


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この記事を読んでいて思い出したのが、パレスチナ住民に対するイスラエルの占領政策です。
私が本で読んだのは、パレスチナ住民の本来の権利・人権意識を奪うために、『政策として』理不尽な取り扱いを繰り返し、それに慣れさせることにより抵抗意識を徐々に奪っていくイスラエルの狡猾な手法でした。
記事を読み、原発難民の人々に対する現政権の対応もまた、同様の考えに則っているように感じました。

同時に「分割して統治せよ」という、英国の植民地政策で使われた手法も福島で用いられているようです。
すなわち体制に協力するなら可能な限り優遇し、そうでなければ冷酷に取り扱う、あるいは分母に含めずその存在が社会の目に触れないようにしてしまう。

そこには政権に協力する大手メディア、出版社などが加わって『権力カルテル』とも言うべき体制が構築されており、事実を次から次に闇に葬っている。
残念ながらそうした闇が広がり続けているのが、現在の日本であるように感じます。

 

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