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【 日本vs.韓国vs.中国vs.台湾、紛争の火種を育てる教科書戦争・第10章 】〈 後篇 〉

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所要時間 約 12分

自分たちの偏狭で普遍性の無い歴史観を教育現場に持ち込み、子どもたちを意のままにしようとしている日本の安倍政権
子供たちすら巻き込んでナショナリズムを煽り立てる行為に、建設的未来などあるはずがない
今必要なのは、当事国同士が歴史の真実を明らかにするための共同作業を続ける取り組み

エコノミスト 7月5日

教科書戦争
一連の動きは、アジアの教科書戦争の特徴を変え始めています。
これまで各国の教科書の内容には、外交政策的立場が反映されていました。

たとえば学校で愛国心を教える際、中国はこれまで外国の侵略行為の犠牲者となった歴史を強調する一方で、毛沢東時代の階級闘争や飢餓や暴力によった多数の犠牲者が出たことは過少に伝えるか、あるいは完全に封印をしてきました。
これら一連の教育は、中国が大国として本来あるべき地位に戻りつつある、ただそれだけのことであるという中国指導部の意向に基づくものです。

日本の下村文部科学大臣は、子供たちが正しい歴史を学び、尖閣諸島については従来の日本側の主張通り日本固有の領土であり領土問題は存在しないという正しい認識を持てるよう、教育指導要領を改める方針であると語りました。

しかし新たな教科書戦争には、少しでも自国の立場を有利なものにしようという思惑が透けて見えます。
教科書戦争は国家間の争いが存在すると同時に、各国国内での争いも続いています。
日本の場合は現在の政権による『戦後教育の見直し』の意向が強く働いています、いわく、
『戦後60年間続いた教育分野の左翼支配に終止符を打つ』。

韓国国内の事情を複雑にしているのは、新右翼と呼ばれる立場の学者などが日本の植民地支配について、ある程度前向きな評価をしているという点です。
このことは現政権にとっては、決して容認できない見方です。

cartoon Abe
韓国では現在の保守政権による教科書内容の見直し政策は、各地で政治的な反対運動を呼ぶことになりました。
6月初旬に行われた地方選挙の結果、2010年の選挙では全国で17ある公選制の教育監督官のうち6議席を獲得した『革新派』が、その倍の13議席を獲得し、注目を浴びることになりました。

勝利した革新派は、現政権が今月その決定がなされる予定の教科書の一本化を強行するなら、別の教科書を作成し、その採用を促進すべく運動すると語っています。
革新派が多数となった教育監督官は多額の教育予算の支出を管理する立場にあり、彼らの同意がなければ政権与党といえど教育行政を意のままにすることはできません。

革新派の反対運動は、現在のパククネ大統領の父親であるパクチョンヒ(朴正煕)大統領の軍制政権時代の体制をあらためよう終わらせようとする広範囲にわたる戦いの一部を形成するものです。
韓国の軍事独裁政権が終了した今、民主化のための戦いは歴史問題へと移行しています。

台湾でも現在、政府が採用を求める教科書に対し、野党第一党の民進党が主導する反対運動が起きています。
野党の勢力下にある郡や都市では、中央政府が提案する教育指導要領が拒否される事態が起きています。
しかし台湾の国内情勢は他と違って国際的な側面を持っています。
それは中国と日本が、その政治的動向を注視しているからです。

日本vs中国02
1949年、中国では共産党との戦いに敗れた国民党が台湾に逃れて政権を樹立したことから、歴史といえば中国大陸のそれを指すことが当たり前でした。
台湾にも中国本土や韓国国民と同じ理由で日本を嫌っている人々がいます。
一方で、1949年以前から台湾で生きてきた人々の中、特に中国からの独立を貫くべきであると考える立場の人々の中には、日本に対し異なる感情を抱く人々がいます。
彼らは日本は台湾の近代化に貢献したと考えています。
そして国民党政府が台湾で白色テロを行い、数万人の台湾人を殺害した1940年代後半という時代を考えれば、日本による植民地支配の時代の方がまだしも平和であったと考えています。

野党勢力とその考えに同調する学者等は、新たな教科書が中国の大陸史に関する記述を減らし、代わりに台湾固有の歴史とオランダ、日本による植民地時代の記述を増やすように求めています。
これに対し、中国との結びつきを強めるべきであるとする立場を取る新聞社などは、こうした人々が植民地統治時代の日本の残虐行為を覆い隠そうとしていると非難しています。

こうした一連の動きとは別に、東アジア地区の中のより分別のある研究者と政策担当者は、子供たちに対し国家主義を煽るような教育を行う事の危険性を認識しています。

表だった批判などが許されない中国で、ひとりの学者がこう指摘しました。
極端な国家主義教育を施し、諸外国を嫌悪するような教科書を子供たちに与えることは、復讐こそ正義であると考える人間を育てる恐れがある、と。

止む気配のない論争を鎮静化させようと、日本と韓国は2002年に研究者による共同委員会を発足させ、続く2006年には中国と日本の間で同様の委員会が発足しました。

そうした取り組みへの努力は死に絶えたわけではありません。

日本vs中国01
韓国のパククネ大統領は、韓国、中国と日本が共同で東北アジアの歴史教科書を作り上げることを提唱しました。
しかしこうした取り組みはすでに4年前、一度挫折しています。
中国と日本の研究者は、過去の事実について統一見解を出すことを断念しました。
そしてここ数年に激化している紛争が、各国間の共同研究の実現を阻んでいます。

20年、30年経った時、現在起きている教科書戦争は、それ自体各国の歴史教科書の中の一項目になるかもしれません。
しかしこのままの状態が続けば、それすら正しい事実が各国の教科書に記載されることにはなりそうもありません。

〈 完 〉

http://www.economist.com/news/asia/21606332-which-democracies-join-east-asias-history-wars-textbook-cases-chapter-10?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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上のエコノミスト、下のニューヨーカーの記事を比較してみると興味深いものがあります。
第二次世界大戦前夜、ナチスドイツは国内で徹底してナショナリズムを煽り、そこから派生してスラブ人を劣等民族と決めつけ、奴隷化してしまおうと本気で考えました。
ユダヤ人に至っては絶滅対象とし、それを政治化し、組織的に殺害してしまいました。

今考えればいずれも狂気の沙汰としか言いようがありませんが、ナショナリズムの台頭の前にそれは正当な『思想』にされてしまったのです。

ナショナリズムとはその類いのものです。
故国を大切に思い、自国の文化を大切にするのとはまったく別の行為です。

明日16日(水)は掲載をお休みいたします。
よろしくお願いいたします。

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【 あのとき、戦場にいた人々の記憶 】〈4〉
学校を卒業したばかりの青年が、たった2ヶ月で150万人も殺されてしまった、それが戦争だった…

ニューヨーカー 6月5日(記事本文は再掲)
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

WW2-7
2010年、初めての個展を開催するためにロシアを訪れていたカメラマンのサーシャ・マスロフは、後に連作となる『戦争経験者』の最初の一枚になる写真を撮影しました。
ソビエト赤軍の航空整備士ピョートル・ドミトリヴィッチ・コシュキンの肖像写真でした。
こうして彼の4年越しの連作がスタートしました。
彼はこの間、写真撮影とインタビューを繰り返しました。
題材になったのは兵士だけではなく、医師、技術者、パルチザン、地下抵抗運動の参加者、そして捕虜。
そしてホロコーストの生存者と一般市民は、戦争のはざまで最も苦しんだ人々でした。

マスロフは私にこう語りました。
「人々はそれぞれの場において、戦争という衝撃的な出来事を、自分自身の膚で感じたのです。」

マスロフはウクライナ出身の30歳のカメラマンで、5年前ニューヨークに移り住みました。
『戦争経験者』という大作に取り組むことになった理由について彼は、生と死のぎりぎりの境を体験した世代の記録をしっかりと残したいという思いがあったと語りました。
そして彼は国籍の違いによって、『戦争』の体験が著しく異なることも記録に留めようとしています。
「この連作の中で、最も興味深かったのは地理的要因による運命の違いでした。」
どの国の出身であるかによって、人々を視覚的にはっきりと分けてしまう事が可能です。
私が撮影したすべての人が第二次世界大戦という、かつてない規模の巨大な事件の当事者でした。宇宙で起きたビッグバンのように、彼らは世界中至る所でこの巨大な事件の渦中に巻き込まれたのです。居間、寝室、そして台所でさえ、戦争と無関係ではありませんでした。

「あなたは、視覚的に人々がどこの出身であるかについて比較することができて、彼らの
マスロフにはここまで18カ国を旅し、写真集を完成・出版する前にさらにインド、オーストラリア、南アフリカ、そしてギリシャを周る予定です。

『戦争経験者』の写真を撮影していて、何が一番印象に残ったかマスロフに質問してみました。
「ある人々は大きな寛容を示しました。そして別の人々の中には尽きることのない憎しみが消えることなく残っています。その対比の極端なことには驚かざるを得ません。」

▽ アナトリー・ウバーロフ(サンクトペテルスブルグ、ロシア)
「まずあなたに理解してもらわなければならない事があります。それは戦争というものがドイツの殺人機械を何とか食い止めようとしていた、信じられない程厳しい時代であったという事です。ドイツ軍の兵士はよく訓練され、そして装備も優れていました。一方の私たちは、そうではありませんでした。
学校を卒業したばかりの少年が、たった2ヶ月で150万人も殺されてしまいました。私の同級生も含めて…」(写真上)

▽ ハンス・ブラット(ケムニッツ、ドイツ)
「Dデイの日、アメリカ人がフランスに上陸したとき、私はレーゲンスブルグに向かっていました。私たちは退却命令を受けましたが、連合軍に捕まってしまいました。そのとき私は18歳でした。
連合軍は私たち捕虜を連行する際、いくつものフランスの都市を巡り歩かせました。これ見よがしに、私たちは戦利品扱いでした。
収容先のキャンプでは2,000人から3,000人が一カ所に収容されていました。
数時間飲まず食わずでいたため、何人もの捕虜が動けなくなりました。私たち全員、立っているのがやっとという状態でした。(写真下)
WW2-8

http://www.newyorker.com/online/blogs/photobooth/2014/06/faces-of-the-second-world-war.html#slide_ss_0=1

 

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