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【 シリア難民受け入れ拒否に心を傷める、日系アメリカ人たち 】《前篇》

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所要時間 約 9分

人間をその人種や宗教で差別扱いすることは、過去においても間違い、今日においても間違い
第二次世界大戦中の日系アメリカ人に対する扱いは、差別されることの痛みを日本人社会に伝えたはず
死後に自由勲章を授与され、やっと報われた日系アメリカ人の平等への戦い

ジョン・エリゴン / ニューヨークタイムズ 11月26日

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爆弾による攻撃が国の状況を一変させてしまうまで、ユカを始めとする14歳の少女たちは毎朝連れ立って学校に行き、その日一日何をして過ごすか相談することが日課になっていました。

しかし突如激しい攻撃が行なわれ多くの人々が命を失った日の朝、ユカは待って待ち続けなければなりませんでした。
母はユカに一人で学校へ行くように求めました。
しかしユカは、いつも通りみんなやってくると主張し譲ろうとしませんでした。

結局、誰も現れませんでした。

仕方なくひとりで学校へ行ったユカは、必ずやってくると信じていた昨日まであんなに親しかった友人たちが、突然彼女を無視するようになった現実と向き合わなければなりませんでした。

その日は1941年12月8日月曜日、日本が真珠湾を攻撃した日の朝の出来事でした。

日本人の両親の下オレゴン州で生まれたユカ・ヤスイ・フジクラさんは今週、パリでテロ事件が発生した結果、シリア難民に対する風当たりが強くなっていることに心を傷めています。
彼女は祖国が最も恥ずべき歴史を刻んだ時代へと思いをはせました。
それはアメリカ合衆国が、アメリカで生まれたアメリカ人であるにもかかわらず、日系人だというだけで数万人に上る人々を差別・隔離し、収容所での生活を強制した事実です。

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(写真: ユカ・フジクラと弟のホーマー・ヤスイ。彼女たちは第二次世界大戦中カリフォルニア州トゥレレイクにある最大規模の強制収容所に送られました。)

「人間をその人種や宗教で判断することは、当時においても間違いでしたし、今日においても間違っています。」
現在88歳になったフジクラさんがこう語りました。

イスラム国(ISIS)の戦闘員を名乗る銃撃犯と自爆テロ犯がパリで130人を殺したことで、シリアの難民の国内流入を止めさせるよう求める抗議が一部で巻き起こりました。
アメリカ国内でも20人を超える共和党所属の州知事たちが、シリアの内戦を逃れるために難民となっている人々の受け入れを拒否する声明を明らかにしました。
理由は彼らの中にテロリストが紛れ込んで来る危険性があるというものです。

各州の担当者の中にはモスクの監視、イスラム教徒の登録制度、難民キャンプの設置などを行う考えを明らかにする者もあらわれました。

パリ 7
本当に日系アメリカ人を困惑させたのは、ヴァージニア州ロアノークのデイビッド・バウアーズ市長(民主党)が、日本人の強制収容所問題が後々問題になったことを考慮すれば、シリア難民を受け入れについても慎重にならざるを得ないとほのめかした事でした。
「現在のイスラム国(ISIS)のアメリカに対する脅威は極めて深刻であり、現実のものと考えられる。この点、第二次世界大戦当時の敵であった日本やドイツの存在と変わらない。」
バウアーズ市長はその後、この発言について謝罪しました。

この時代の日系アメリカ人にとって、第二次世界大戦当時の記憶とは、ある日住んでいた家から追い立てられ、営んでいた店は外側から板が打ち付けられて閉鎖され、外が見えないよう目隠しされた列車に乗せられ、はるか遠くにある強制収容キャンプに送り込まれたというものです。
そこで待っていたのは、常に武装した警備員の監視の下、有刺鉄線の内側での暮らしでした。

この当時、アメリカのニュースメディア各社は日本人が共謀して何事かを企んでいる可能性があるとのうわさともニュースともつかぬ情報を流していました。
その中には日本人の農民が敵である日本に情報を送るため、暗号代わりに農場の中のある特定の部分だけを耕しているというものもありました。

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「こうした類いの露骨なうそが、日系アメリカ人の立場を徐々に不利にして行ったのです。」
1942年の独立記念日に強制収容所に送り込まれ、釈放後はカリフォルニア州でずっと暮らしているジョージ・イケダ氏(93歳)が当時の状況について、このように語りました。

フランクリン・D・ルーズベルト大統領の命令により、約120,000人の日系アメリカ人が第二次世界大戦中、犯罪を犯した訳でも無いのに強制収容所送りとなりました。
当時ほとんどの日系アメリカ人は西海岸に住んでいました。

アメリカ社会は日系アメリカ人に様々な中傷誹謗を行いました。
彼らはアメリカ合衆国に対する忠誠を持っているかどうかのアンケートへの記入を強制されました。
政府は夜間外出禁止令を特定の外国系アメリカ人に対し行いましたが、実際に取り締まりの対象になったのは見た目でそれとわかる日本人である場合がほとんどでした。

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こうした差別政策は日系アメリカ人の中にリーダー的存在の人を作り出すことになりました。
フジクラさんの兄弟であるミノル・ヤスイ氏もその一人です。
彼は逮捕されるのを承知で、夜間外出禁止令を敢えて破る行動に出ました。
しかし彼の信念は、生きている間は報われることはありませんでした。
ミノル・ヤスイ氏は1986年に亡くなりましたが、生前アメリカの最高裁判所は第二次世界大戦中の日本人の強制収容所への拘禁について、正式には違憲性を認めませんでした。
しかしヤスイ氏の死後、オバマ大統領が彼に自由勲章を授与し、彼の信念は死後やっと名誉を与えられ報われることになったのです。

「わたしの祖父はルーズベルト大統領の命令を無視したことで、今になって自由勲章を受けることになりました。今回の出来事は私を誇り高い気分にしてくれました。」
ヤスイ氏の孫娘であるシャニ・ホーキンズさんがこう語りました。
「私に希望を与えてくれるできごとでした。」

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(写真上 : 11月24日ホワイトハウスで式典で、彼女の亡くなった父のミノル・ヤスイ氏に代わって自由勲章を受けとるローリー・ヤスイさん)

シリア難民に関する議論が行なわれているまさにそのタイミングで、ヤスイ氏の名誉が確立したことは、彼が戦って勝ち取ろうとした人種的平等に改めて光をあてる重要な機会になったと、もう一人の孫娘であるセリーナ・ホーキンズ・シュレッツバウムさんが語りました。
「今回の勲章の授与が無ければ、私たちの意見がこれほど大きく取り上げられたかどうか、わからなかったと思います。」

〈 後篇に続く 〉

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アメリカのメディアなどを見ていると、レイシスト(racist)人種差別主義者は最低・最悪の人間である、という価値観がアメリカで明確になったのは21世紀に入ったありではないか、という感じがします。
人種差別を無くすためにアメリカは長い長い戦いをしてきましたが、その歴史の中で最も激しく黒人を差別したのが、『プア・ホワイト』と呼ばれる最も貧しい層の白人たちでした。
同じ白人には自分たちの下はいない、ならば黒人を自分たちの下に置こう、そう考えたのかどうか…
いずれにせよ差別というものが、自分に自信を持てない事の裏返しの行為だという事を『プア・ホワイト』の史実は教えているのではないでしょうか?

私は東北で生まれ育ったため、自分の日常に原則『差別』は存在しませんでした。
東北は冬寒く不便なことも多々ありますが、差別が無かった事だけは本当に良かったと思っています。

 

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