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【 強制収容所の中でヒロシマ原爆攻撃の第一報を聞いて : ジョージ・タケイ 】

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所要時間 約 12分

平和と外交による紛争解決の実現にこだわらなければ、私たちは想像もできない規模の大量破壊の恐怖を繰り返す
戦争はいつの時代にも罪のない人々を大量に死に追いやる、人類にとって最も過酷な状況を作りだす
力を合わせて軍備の縮小と核兵器の無い世界を実現し、原爆犠牲者と被爆者の願いを形にしよう

ジョージ・タケイ(日系アメリカ人二世の俳優) / ガーディアン 5月30日

広島14
広島に原爆攻撃が行なわれたその日、私たちは日系アメリカ人を実質的に投獄していた抑留キャンプの中にいました。
何が起きたかがわかると、私たちは希望を失うほどの悲しみに打ちひしがれました。

バラク・オバマ氏は5月27日、ヒロシマを訪問した史上初のアメリカ大統領になりました。
原爆を投下された広島は、アメリカが第二次世界大戦(太平洋戦争)の終了を早めるため世界史上初めて核兵器を使用した場所であり、市内全域が壊滅して70,000人が死亡、その後の2ヵ月間でさらに70,000人以上が死亡しました。
ヒロシマの犠牲者の中に、私の親族もいました – 私の母の姉妹とその5歳の子供です。
遺体は広島市内の運河に浮かんでいましたが、爆発によってほとんど見分けのつかないほどの火傷を負っていました。

このニュースに連合国側の市民は喝采を送りました。
彼らにとって、原爆攻撃の成功は第二次世界大戦の終了が早まることを意味していたからです。
さらには自分たち自身とその家族が、血なまぐさい戦場から解放されることを意味していたからです。

ヒロシマ02
しかし戦争が終了し平和が訪れた後に、広島への『原爆攻撃の成功』がどのような結果をもたらしたのか、本当に理解すべき時が訪れました。
人類はひとつの都市を完全に破壊しただけでなく、社会と文明を完全に破壊してしまう可能性がある新たな、そしてきわめて危険な時代に入ったのです。

攻撃の当日、私と家族はカリフォルニア州にあったトゥレレイクにあった日系アメリカ人の強制収容所に居ました。
真珠湾が日本によって奇襲攻撃を受けてから間もなく、西海岸にいた日系アメリカ人は米国政府の命令により強制収容所に投獄されることになりました。
収容所内では広島に関する虚実取り混ぜた噂とも事実ともつかない話が瞬く間に広がりました。
収容所では私たちは外部のあらゆるニュースから隔絶されており、公式の発表などに触れることはまったくできない状況に置かれていました。

母は広島にいる姉妹や親戚の安否を確かめようとヒステリックになっていました。
彼らの生死はまったくわからなかりませんでした。
母の家族は開戦直前、アメリカ国内からまさに広島に向かって帰国してしまっていたのです。

広島26
私たちはそうした噂を信じるべきかどうか、判断のしようがありませんでした。
それにたった一個爆弾を落としただけで、広島のような大きな都市を丸ごと破壊して市民を皆殺しにするようなことが果たして出来るのかどうかという疑問もありました。

しかし真実が明らかになると、私たちは恐怖と深い悲しみに打ちのめされました。
これだけの破壊をしてのけた爆発のものすごさを想像せずにはいられませんでした。

父は広島にいる親類は全滅したと考える方が良いとほのめかし、母は事実が何もわからないという状況の中で苦しまなければなりませんでした。
しかし一方で私たちは原爆の投下により私たちの強制収容所での暮らしに終止符が打たれるであろうこと、広島の犠牲が日系アメリカ人が自由を取り戻すための対価のひとつになるのだという事を考えていました。

広島32
それから70年以上が経ちました。
謝罪に関するいかなる意思表示が無かったとしても、オバマ大統領の広島訪問には、歴史的に重要な意義があります。
ヒロシマには未だ原爆の攻撃の的にされた人々が生き残り、その中には長い間放射線による障害に苦しんでこられた方々もいます。
被爆者と呼ばれている方々です。
彼らはこの地球上で二度と核兵器が使われないようにするための運動に、その後の人生を捧げて来られました。

オバマ大統領の広島訪問の中で、最も感動的な出来事はその被爆者の中のひとりとの出会いによるものでした。
私と同じ79歳という年齢の森重昭さんはオバマ大統領を抱きしめながら、シンプルに次のように語りかけました。
「今日という日はアメリカが広島に与えた最高の一日になりました。」
私も含め多くの日本人と日系人は、この一言に込められた深い意味を理解すると同時に、心からの賛辞を送ります。

真珠湾
広島・長崎に投下された原爆は戦争を終わらせましたが、真珠湾に無惨酷烈な攻撃を行って戦争を始めたのは日本であるという事実により、一部の人々は広島・長崎に原爆を投下されたことについていかなる意味意義があるか、より深く検討する以前に、米国政府が公式の謝罪を行うべきかどうかについて疑問に思っています。
私自身は立場は違っても、戦争はいつの時代にも罪のない人々を死に追いやる、最も悲しむべき出来事であるという認識だけは共有できれば良いと思っています。

被爆者が思い描いているように、過去の定義にこだわる代わりに私たちが焦点を合わせるべきなのは、核兵器使用が本当に過去の出来事で終わるようにすることです。

私はオバマ大統領が求める核兵器のない世界の実現という理想を共有します。
この言葉の意味するものをただの理想で終わらせてはなりません。

原爆実験第1号
拡散防止を実現するために必要な対応は一層厳しい制裁を課すことなのか、それとも条約等の拘束力を強化することなのかは、熱心に議論が行なわれているところです。
いずれの方法とをとるにせよ、各国各地の人々がより密接に協力し合わ打事を誓わなければなりません。
そして核兵器そのものの数を減らすことも大切ですが、それを保有したり手に入れようとする国の数を減らすことも重要です。

こうしたことから私は日本、韓国、サウジアラビアが核兵器保有国の仲間入りをし、国の防衛に核兵器を装備すれば良いという最近のドナルド・トランプの提案を心から嫌悪せざるを得ません。
もしそんなことをすればこれらの国々が核兵器使用への第一歩を踏み出すことになるだろうという見解を私は支持します。
新たに核兵器を保有すれば、その国は未知の、そして一度動き出したら誰も止められなくなる危険を抱え込むことになるでしょう。

空襲01
私はこれまでもしばしば訪問したことがある広島に、つい最近も行ってきました。

あの灰燼の中からこれ程の近代都市へと生まれ変わった広島市を見ると、人類の技術的才能がこの70年の間にどれ程進歩したかを改めて思い知らされる一方で、相変わらず紛争の解決に戦争という手段を取りたがり、より強力な武器の開発に狂奔する人類の現実を思わないわけにはいきません。

平和と外交的解決の実現にこだわり続け、その実現に具体的に取り組まなければ、私たちは想像もできないスケールで量破壊の恐怖を繰り返すリスクを冒しつづけることになります。

どうかみなさん、軍備の縮小と核兵器の無い世界の実現のため、力を合わせて改めて取り組みを行うことにより、広島原爆の犠牲者と被爆者の方々の願いを現実のものにしましょう。

http://www.theguardian.com/commentisfree/2016/may/30/hiroshima-family-members-among-dead-george-takei
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【 硫黄島の星条旗に関わるミステリー 】《3》

アメリカNBCニュース 5月30日

硫黄島03
カリフォルニア州グラス・バレーで暮らすダスティン・スペンスのような硫黄島の歴史家にとって、消えてしまったすり鉢山の星条旗の写真は探求すべきテーマの一つになりました。
「将来的にはすり鉢山の山頂でバーンズ上等兵が撮影した写真が発見されることになるだろう、私はそう考えています。」
「有名な写真を撮影したローゼンタールが、すり鉢山の山頂にいるバーンズ上等兵の写真を撮影している訳ですから。彼が何も撮影しなかったとすることの方が不自然であり、私たちが未だ見つけることができずにいるという事のほうが真実だと思います。」

硫黄島05
バーンズ上等兵とバーマイスター軍曹はローゼンタールに数時間先んじて標高170メートルのすり鉢山の山頂に居て、後に有名になった大きな星条旗が打ち立てられる以前に掲げられていた小さな星条旗の周りでポーズをとる海兵隊員の写真を撮影していました。
彼らは山頂付近にとどまり、そこにローゼンタールと別の海兵隊のカメラマン2名が加わりました。
ボブ・キャンベル上等兵とビル・ゲナウスト軍曹、さらに氏名不詳の沿岸警備隊カメラマン1名です。
ゲナウスト軍曹はこの時、動画も撮影しました。

硫黄島06
1968年3月16日のニューヨーク・ミラー誌に掲載されたバーンズ上等兵の寄稿文の一部が、この日の彼の行動について最も完全に証明していると判断されます。
「すり鉢山の山頂に大きな星条旗が掲げられた時、私とジョー(ローゼンタール)は並んでそのシーンの写真を撮影しました。」
「有名になったローゼンタールの写真は私の写真と一緒にグアムにあった海軍検閲局に送られ、ともにそれぞれのもとに戻されました。」
バーンズはさらにこう書きました。
「そのとき、世界的に有名になった一枚の写真を選び出したのはマレイ・ベフェラーという名の写真コーディネーターでした。」

硫黄島07
ベフェラー氏は1968年8月に亡くなりましたが、息子のマイク・ベフェラー氏はNBCの取材に対し、彼の父親はバーンズの写真のその後の運命には直接関わってはいなかったはずだと語りました。
「私は父がローゼンタールについて語るのは聞いたことがありますが、ジョージ・バーンズという名前は一度も耳にしたことはありません。」
父が軍関係者が撮影した写真を見たかどうかははっきりしません。父はAP通信の写真を扱うのが仕事でしたから。」

ローゼンタールの『スクープ写真』の扱いについて戦場カメラマン協会は、アメリカ軍当局の官僚体質を批判する記事を機関紙に掲載しました。

「同じ題材を撮影しながら、バーンズだけが不運を背負い込むことになりました。彼の写真は軍の検閲によって故意に発表が遅らされ、ローゼンタールの写真だけが歴史的な評価を得ることになってしまいました。」
署名なしの記事にはこう書かれていました。
しかしこの記事中にも、バーンズの写真がその後どうなったのかについては書かれていません。

硫黄島08
「バーンズがすり鉢山頂上で撮影したし一連の写真にはローゼンタールの有名な写真に似たものがあったはずですが、軍のカメラマンたちの写真にはそうしたものは一枚も見当たらないのです。」

http://www.nbcnews.com/news/us-news/star-spangled-mystery-what-became-lost-iwo-jima-flag-raising-n581741

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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