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【 地震、津波、そしてメルトダウン – 日本史上、最悪の悪夢は続いている 】《第4回》

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所要時間 約 12分

日本の為政者が触れてほしくない部分に、大胆に踏み込んだ国会事故調査委員会
福島第一原発の事故さえ無ければ、捜索の中断など強いられることなく、もっと多くの命が助かったはず

ヘンリー・トリックス / インテリジェント・ライフ2013年7・8月号 / エコノミスト

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しかし巨大地震、巨大津波、そして福島第一原発の事故という三重災害による大変な苦痛に襲われたとしても、1945年、昭和天皇が国民に対して行なった無条件降伏受諾演説において、その国民性を称えたように、
『耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び』続けてしまうのが、日本という国の人びとなのです。

東日本大震災によって被災者となった315,000の人々が耐えてきたのは、事故が発生してからの年月でした。
彼らは耐え難い苦しみを黙々と耐えてきました。
胸の内には沸騰するような思いを抱えながらも、復興事業をスピードアップするように、あるいは被災地となった地域で雇用の口を創るよう、声を揃えて求めることはありませんでした。

そして一方では、事故直後に日本各地から被災地の人々に向けられた同情の思いは、今、軽い敵意のようなものに変わりつつあります。
そして放射線の脅威から身を守るために批難をした人々に対しては、あたかも裏切り者のような目が向けられるようになりました。
学校では福島から避難した子供たちに対し、悪罵が投げつけられます。
本来なら同情すべき立場にあるはずの人々には、福島から避難してきた人々を避ける動きが見られます。
そして日本全国のスーパーマーケットでは、福島産の商品を見ると足早に立ち去ろうとする買い物客の姿を見かけます。

そして福島第一原発の事故について人為的ミスと構造的欠陥の連鎖によって生じたものであると断じた国会事故調査委員会の報告書は、議会内において本格的な議論が行われることも無く、埃をかぶったまま放置されています。

事故調査委員会06
日本の為政者が触れてほしくない部分に、あまりにも大胆に踏み込んだことがその理由かもしれません。
委員長の黒川清氏は、福島の事故を『メイド・イン・ジャパン』と表現しました。
事故の根本原因についてこの報告書は
『権威に対する盲従性、国家機関の行為に対して疑問を持とうとしない態度、教条主義、群れの中に埋没しようとする習性、そして島国根性』
という日本の国民性にあると、鋭く断じました。

この報告書は予見できたはずの事故に対し、予防策を採らなかった日本政府と東京電力を批難しましたが、それは先に述べたような日本の国民性をも被告席に置くものでした。

後ろめたい思いをさせられた日本人は、結局この報告書に背を向けてしまったのです。

災害に見舞われた各市町村において、なぜ収拾のつかない騒ぎが起きないのかという疑問に対しては、こうした国民性がその答えとなるでしょう。

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しかし個々のケースにおいては、福島で窮地に追い込まれた人々が理不尽な逆境に甘んじる事無く立ち上がり、そして事故によって踏みにじられたままのコミュニティを、力を合わせて再建すべく立ち上がっている勇敢な人々の姿を認めることが出来ます。

加納屋さんもそうしたグループを率いる一人であり、いくつもの家族が参加しています。
多くは請戸地区の人びとからなるこのグループは、3.11で大切な家族を失いました。

驚くべきは彼らの行動の特徴です。

被災者の多くが家、土地、そして生活手段を失ってしまいました。
そして子供たちは遊びなれた友人たちと離れ離れになり、見知らぬ学校に編入させられました。
そして穏やかな気候に恵まれた海辺の町から、雪交じりの寒風が吹きつける山上の仮設住宅へと追立てられて行ったのです。
子供たちの多くは放射線量が高いために、屋外で遊ぶことを制限される場所に暮らしています。
芝生の上で転げまわって遊ぶことなどは論外なのです。

そのような生活を強いられていて尚、彼らが挙げる抗議の声は自分たちのためでもなければ、子供たちのためのものでもありません。

死んだ後どうするのか、という事が一番の争点なのです。
街の中でも最も高齢の人々、その死はどう取り扱われるべきなのかということが、一番見過ごしにできないのです。

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福島の農村地帯のように古くからのコミュニティが守られてきた地方では、高齢者を大切にし、伝統を守るという事がどれだけ大切なことなのか、その価値観を証明しています。

人間としての尊厳を守ること、それは持てる物のほとんどを失ってしまった人々にとって、残された数少ない大切な価値なのです。

加納屋さんは333の家族を代表し、訴訟を通して東京電力と一戦交えることになりました。
一見すると、それは非現実的な無謀な試みのようです。
東京電力は放射能汚染によって故郷の家を追われた人々、土地や生計手段を失ってしまった人々に対し、すでに3兆円を超える損害賠償を行っています。
すでに明らかになっている東京電力の負担はそれだけではありません。
チェルノブイリがそうであるように、数世代に渡り、何十年もの時間をかけて福島第一原発の事故収束・廃炉作業を完了させるためには、10兆円を超える費用が必要だと見積もられているのです。

東京電力社員
東京電力は政府資金の注入による実質的な国有化措置が採られなかったら、とっくに経営破たんしていたでしょう。
そのような状況下であっても、加納屋さんたちのグループは、東京電力に対死者に対する充分な補償を行うよう求めていくつもりです。

加納屋さんたちは次のように主張しています。

すべての犠牲者は津波の被害者ではあって放射線が原因で死亡した訳ではなくとも、もしあの時福島第一原発の事故さえ発生しなければ、多くの命が救われたはずだと…
さらに明らかなことは、死亡した人々が本来の墓所に適切な形で埋葬される権利を侵害されたという事である、訴状にはそう記されています。

事故直後、福島第一原発の周囲の津波の被災地では放射性物質が降り注ぎ、生存者・遺体の捜索共に行われることはありませんでした。
それはすなわち、遺体はその場所に放置されたまま、腐敗するにまかせるしかなかったという事を意味したのです。

〈 第5回につづく 〉

http://moreintelligentlife.com/content/features/anonymous/fukushima
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3.11の翌12日、仙台市内にいた私はまだ放射能の事など意識する事も無く、仙台市の中心部に出かけていき、友人の安否の確認をしていました。
無事を確認し早々に自宅に戻ると、唯一の情報源であった乾電池式のラジオから福島第一原発の1号機が爆発したという緊迫したニュースが流れました。
その本当の恐ろしさを理解できるようになったのは、ライフラインが復活し、テレビ、ラジオだけでなく、インターネットを通して海外の報道なども見れるようになり、原発事故というものがどういうものかを確認してからの話でした。

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【 内戦という名の戦争、難民キャンプ、そしてずたずたにされた子供たちの心 】〈1〉

アメリカNBCニュース 3月11日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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レバノンのベカー渓谷では約5,000人の国外脱出をしたシリア難民が、フェイダ・キャンプと呼ばれる場所で生活しています。
AP通信のニュース・カメラマン、ジェローム・ディレイとNBC放送の番組制作者である立花由香が2日間キャンプを訪問し、まだ成年に達していない戦争の生存者がどんな生活を強いられているか、取材と写真撮影を行いました。

13歳のアリは家族で車に乗って移動していた時、突然銃撃を受けました。
銃弾はアリの掌を貫通し、隣にいた弟モハメドの頭に命中してしまいました。
モハメドはそのままアリの腕の中で息を引き取りました。
その一か月後、アリの家族は国境を越えシリアを逃れ、レバノンにやって来ました。
兄弟の母ハタラは、モハメドの死以来子供の様子が変わってしまったと語ります。
アリはまだ手に痛みが残っていますが、事件そのものの記憶はあいまいです。
母によれば事件以来アリは突然異常に興奮することが多くなり、自律的行動をすることが難しくなったと語ります。
しかしアリは現在、家族にとってたった一人の稼ぎ手です。
彼は毎日1時間歩いて通勤し、自動車整備工として週に6日間働いています。
「神が一つだけ願いをかなえてくれるなら、平和になった故国に帰りたいと願うつもりです。」
(写真上)

14歳のノファはアリの姉です。
末の弟が銃撃によって死亡したことに衝撃を受けた彼女は、一刻も早く家から出たいと考えました。
そして従弟と結婚しましたが、結婚生活は長続きせず、結局もとの家族のもとに戻ってきました。
彼女は現在学校に行くことなく、母親と一緒に年下の兄弟姉妹の世話に明け暮れています。
「シリアで内戦が始まる以前、私は学校が好きでした。わたしの成績はクラスでトップでした。」
ノファがこう語りました。
「得意科目はアラビア文学でした。」
(写真下・以下同じ)
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2年前に家族と一緒にシリアのイドリブから逃れてきた5歳のガマルがフェィダ・キャンプの中を歩いていました。
当時イドリブでは頻繁な砲撃や爆撃にさらされ、近くで爆音がする度ガマルは泣き声をあげていました。
避難後の今も夜中に泣き叫ぶことがあります。
父親のカリドがガマルのこれからの人生に望むことは、平和で落ち着いた生活だけだと語りました。
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母親と一緒に暮らしている難民キャンプのテントの中で、兄弟姉妹と一緒にベッドに座る12歳の少女ファティマ。
4ヵ月前、家族のために食糧を捜していた父親が姿を消した後、ファティマと家族はシリアのホムスを逃れてこの場所にやってきました。
「私はいつも父の事を考えています。父は私たち家族が幸せでいられるよう、絶えず気を配っていました。食べ物を探し、家族全員が無事でいられるようにしてくれていました。神さまがひとつだけ願いをかなえてくれるなら、父を返してほしい、それだけです。」
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7歳のシドラ(真ん中の少女)が難民キャンプのテントの前に立っています。
家族が就寝中に自宅近くで爆発が起きた2週間後、シドラの両親は3歳の妹のジーナとシドラを連れてダマスカス郊外からレバノンに逃れてきました。
「そのとき私のおじさんが3人、そしていつも一緒に遊んでいた3人のいとこも死んでしまったの。」
シドラがこう話しました。
そしてシドラの弟も3年前、銃撃で殺されていました。
「私はもうシリアには戻りたくないわ。私はこのキャンプいる方が安心できるから。」
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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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