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【 地平線の彼方に再び姿を現した戦争の予感と、元ゼロ戦パイロットの取り組み 】《前篇》

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所要時間 約 6分

再び戦争への道を歩もうとしている祖国に、戦争体験に基づき警告を発する元戦闘パイロット
戦後の平和主義が成し遂げてきた数々の成果に対する安倍政権の評価は、あまりにも公平さを欠いている
軍備の拡充、集団的自衛権行使容認、憲法改正。「彼らは戦前戦中の政治指導者と変わらない…」

マーティン・ファクラー(長野にて) / ニューヨークタイムズ 4月3日

戦闘機01
原田要(かなめ)さんはかつて、空を飛んでくるサムライとして恐れられていました。

第二次世界大戦(太平洋戦争)中、原田さんは日本の伝説的なゼロ戦のパイロットとして19機の連合国の航空機を撃墜しました。

現在、98歳になったかつての空の英雄は健康を害していますが、自らが最後の任務と名づけた取り組みを行っています。
再び戦争への道を歩み出そうとしている祖国に、自らの戦争体験に基づいて警告を発することです。

日本の保守タカ派の安倍晋三首相が日本の平和憲法を改定することを声高に要求している時に、原田さんの『任務』は注目を集めることになりました。

最近のある日の午後、原田さんは中部地方の高地にある長野市で開催された税理士とその顧客200人程を招待したダンス会場での講演を依頼されました。

娘さんに介添えされてゆっくりと階段を昇り壇上に立った原田さんは、途中手描きの戦場の地図とまっすぐカメラを見つめるようにして立つ革製の飛行服を着た若き日の自分を写したセピア色の写真を掲示するために立ち止りました。
その時、聴衆の方を振り向いた顔は飛行服の男性と同じ表情をしていました。
ただしその顔には年相応のしわが刻まれ、往時と比べ幾分穏和に、そして思慮深くなっているように見受けられました。
その体は着ていたスーツが垂れ下がって見える程細っていましたが、そこから発する声は驚くほど力のこもった大きなものでした。

戦闘機02
「戦争ほど恐ろしいものはありません。」
緒戦の真珠湾攻撃における勝利から、ミッドウェー、ガダルカナルにおける惨憺たる敗北まで、90分に及び彼がこなした任務について語られた講演の冒頭、原田さんはこう切りだしました。
「私が体験しなければならなかった悲惨な経験を、若い世代の人びとが再び強いられることが無いように、私の経験についてお話したいと思います。」

原田さんを始め戦争を実際に経験した人々の話をもうすぐ聞けなくなってしまう事は、日本人に対する警鐘です。
1931年、当時大日本帝国の中国東北部への侵略によって始まったアジア地区の第二次世界大戦(太平洋戦争)によって、続く14年間に命を奪われた人々の数は数千万に昇りました。
この戦争に実際に参加した日本人生存者の数は、減り続ける一方です。

講演の後のインタビューで、原田さんは自身について「最後のゼロ・ファイター」、あるいはアメリカとの戦争の初期、すなわちゼロ戦が活躍をした時期に実際に戦闘に参加した航空兵の最後の生き残りパイロットであると語りました。
彼は互いの顔が解る程接近して死闘を繰り広げた戦闘機同士の戦いと、死を目前にした敵のパイロットが表情を恐怖に歪ませて死んでいった様子について詳しく語りました。

「私はゼロ戦のコックピットから戦争をしました。そしていまだに殺した人々の顔を思い浮かべることができるのです。」
原田さんがこう語りました。

ゼロ戦02
原田さんは後に戦争を生きのびた当時敵であった何人かの人々と会い、友人関係を結ぶことが出来たと語りました。
彼らも私たちと同じように父であり、息子であり、同じ人間でした。私には彼らを憎む理由がありませんでしたし、彼らが何者なのかすら知りませんでした。」

「つまり人間から人間性を奪い去る、それが戦争なのです。」
原田さんがこうつけ加えました。
「見知らぬ人を容赦なく殺してしまうか、それとも殺されるか、いやでもどちらかを選ぶしかない状況に入れられ、そして人間性を失ってしまうのです。」
原田さんや他のかつて第二次世界大戦(太平洋戦争)当時に兵士だった高齢の人々が証言の場から遠ざかることにより、日本は戦争中の記憶を失っていく一方だと語りました。

原田さんたちの世代が体験しなければならなかった悲惨な体験が、当然のごとく戦争を嫌悪させることになり、1945年以降、日本が平和主義国家として歩む原動力の一つになったと語りました。

原田さんは可能な限り政治問題には触れまいとしていましたが、ついうっかり現在の首相に対する批判を口にしてしまいました。
その人物は日本が紛争の解決手段として戦争を放棄するとする憲法の規定を葬り去ることに少しばかり熱心になり過ぎており、戦後の平和主義が成し遂げてきた数々の成果に対する評価はあまりにも公平さを欠いています。

「これらの政治家たちは戦後生まれです。そのせいかどうか、戦争だけは絶対に避けなければならないとは考えていません。」

太平洋戦争02

原田さんがこう語りました。
彼は今の畳の上に座り、インタビューに応じていましたが、その部屋には飛行機の写真と、1942年に彼が撃墜されていた際の乗っていたゼロ戦のアルミニウム製の部品が飾られていました。
「この点、彼らは戦前戦中の政治指導者と変わらないように見えます。」

〈後篇に続く〉

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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