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【 原発事故、その後の本当の災厄、そこに閉じ込められてしまった人々 】《後編》

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所要時間 約 9分

除染作業に従事した人間であることを証明するためには、死んで見せなければならないのか?
多くとも少なくとも死者の数とは別に、原発事故が人間社会にもたらす本当の悲劇が存在する
原発事故後に訪れる本当の悲劇を、世界は未だその目で確かめてはいない

記事 : トム・デイヴィス
写真 : アレクセイ・ファーマン
インデペンダント 2014年4月27日

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「食べるためには盗むしかありません。盗む能力が無ければ、四六時中腹を空かせていなければなりません。」
定期的に危険を冒して立ち入り禁止区域に入り込んでいる一人の男性がこう語りました。

28年前チェルノブイリの事故発生後間もなく数万人の人々が強制的に移住を求められ、以来無住の地となった立ち入り禁止区域に残された各種の金属片や機械器具などは、周辺で苦しい生活を続ける被災者の闇の生命線になってしまいました。

結局、この地で悲劇に見舞われた人々は2度以上の放射線被ばくをすることになってしまいました。
一度はチェルノブイリが事故を起こした際の目に見えない放射線の脅威、もう一度はもはやなりふり構ってはいられない生活上の要求から。

チェルノブイリの事故発生当時原子炉のメルトダウンによって放出された放射性物質を、危険を冒して環境中から取り除く作業に従事した人々の場合はどうでしょうか?
彼らもまた本来受け取るべき補償を手にするために、一方ならぬ苦労を強いられています。

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「私は事故当時除染作業に従事した人間であることを証明するためには、死んで見せなければならないのでしょうか?」
ハリコフからやって来た一人の女性がこう語りました。
彼女はチェルノブイリの事故後の除染作業の際の被ばくにより発症した病気の治療薬の購入を続けるため、どうしても補償を受けなければなりません。
彼らが被った身体的な障害、そして心因性の各種の症状こそは、彼らが従事させられた作業が放射線に対し適切な防御対策が採られていなかったことを証拠立てるものと考えられます。

チェルノブイリの事故による死者の数はIAEAが主張する4,000人という数から100万人近いとする説まで、諸説入り乱れています。
しかし死者の数が何人であっても、原発事故が人間社会にもたらす本当の悲劇を表現することはできません。

台無しにされてしまった人生、崩壊・消滅してしまった地域社会、そして見えないストレスが引き起こす障害と悲劇。

「ここは巨大な墓地というべきです。」
350,000人が強制的に避難させられた場所の方を指さし、ヴィクトールがこう言い放ちました。
「あの場所には目に見えない無数の墓標が立ち並び、まるで巨大な都市のような景観を成しています。」

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強制的に移住をさせられた人々の中から、ストレスによる死亡者が続出したという事実を、世界中の様々な分野の人々が確信しています。

幼少期を過ごした故郷の家から800キロ以上離れた場所で暮らす一人の原発難民の女性が私にこう語りました。
「私たちはそれまで生きていた林から、根こそぎ引き抜かれてしまった木のようなものです。新しい場所に植え替えられても、無事に育つ可能性は極めて少ないのです。」

ここ数ヵ月の間に、ウクライナの各都市からレーニン像が撤去されるのを何度も目撃しました。
しかし、ソビエト連邦のゲンパツ事故の遺産を消してしまうのは容易な事ではありません。
その遺産はIMFから厳しい財政削減を求められているウクライナ政府の予算を、毎年5%ずつ食いつぶしていきます。

結局、放射性物質は国境すら変わりかねないウクライナの国土の中に沈殿したままにならざるを得ないようです。

もはや世界中の人々が振り向きもしなくなった状況の中で、ヴィクトールやマーシャのように原発難民にさせられてしまった人々は、なおもゲンパツ事故がもたらした災厄を背負ったまま生き続けなければなりません。

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ジャガイモに貼り付いたままの小さな虫のように、汚染されてしまった土地にしがみつく他の選択肢などもう残されてはいないのです。

※トム・デイヴィスはバーミンガム大学の地理学、地球、環境科学学部の尋問地理学者です。
彼はこの4年間CEELBAS基金による博士論文を完成させるためチェルノブイリ事故によって汚染されたウクライナ各地を訪れ、そこに生きる人々への取材を続けてきました。
ツイッターのアカウントは@ThomDaviesです。
アレクセイ・ファーマンは、ヨーロッパ各地の抵抗運動の取材に長く取り組んできた報道写真家です。
ツイッターのアカウントは@alexeyfurmanです。

http://www.independent.co.uk/news/world/europe/ukraines-other-crisis-living-in-the-shadow-of-chernobyl--where-victims-receive-just-9p-a-month-and-are-left-to-fend-for-themselves-9293832.html
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明日20日(水)は掲載をお休み致します。
よろしくお願い致します。

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【 チェルノブイリ、災厄に閉じ込められてしまった人々 】《2》

写真 : アレクセイ・ファーマン
ザ・インデペンダント 4月28日
(掲載されている写真をクリックして大きな画像をご覧ください)

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アレクサンドルは、長い間放射性物質に汚染された避難区域の事故収束作業員、そして運転手として働きました。
彼は生まれ育った土地を離れられないのだと語り、こう続けました。
「ソビエト連邦は消滅し、目の前からいなくなりましたが、チェルノブイリという負の遺産を残していきました。チェルノブイリがもたらしたものこそ、私たちの現実であり、避けて通れないものであり、日々そのために私たちは何かする事を強いられているのです。」
こう語ったアレクサンドルは2013年、この世を去りました。(写真上)

事故現場近くのスターリサコリ村の自分の農地に立つ男性。背後の林の向こうが立ち入り禁止区域。(写真下・以下同じ)
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立ち入り禁止区域の西側で、停留所でバスを待つ2人の母親。
この地で生きるためには数少ない仕事、貧弱な設備投資、そして極めて少ない補償金と言う悪条件をすべて受け入れなければなりません。
ウクライナでは国民の4人に1人が貧困層に分類されますが、IMFはさらなる最終削減を迫っており、チェルノブイリ周辺の人々は増々追いつめられています。
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チェルノブイリ近くの小さな農園に立つ高齢の女性。
事故の後、政府などは汚染されていない食物を口にするようすすめていますが、そのための補助金は極めて少額でしかありません。
土地の汚染が懸念されますが、この地の人々はどうしても住み慣れた土地を離れようとはしません。
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立ち入り禁止区域から5キロメートルの場所にあるオラネ村で、時間をつぶす子どもたち。
この辺りには若者のための、まともな就職口などはありません。
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チェルノブイリの補償問題に取り組む運動家、セルゲイ・ペトロヴイッチ・クラシルニコフ。
彼は1990年代前半から車いすでの生活を強いられていますが、原因は放射線障害によるものだと考えています。
しかし法律で定められているにも関わらず、政府等の補償はまともに支払われた事は無く、もはや自分たちは捨てられたも同然だと考えています。
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