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【 なぜ彼らは戦争を欲するのか?! 】《2》[GRD]

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所要時間 約 9分

国家安全保障という定義には、必ずしも国民や一般市民の安全は含まれない - その証拠は歴史上数多く存在する
核兵器の大量破壊により一般市民が受ける被害については、軍官僚たちはさほど重要視していなかった

 

ノーム・チョムスキー / ガーディアン 2014年8月6日

広島09
◇ 冷戦時代初期の遺物

専門分野における学説、そして各種の論文などをあたってみれば、国家政策の主要な目的は国家の安全ということになります。
しかし国家安全保障という定義には、必ずしも国民や人々の安全は含まれないという証拠が、これまでの歴史に数多く存在するのです。

例えばこんなことが記録に残されています。
戦争が起きたときの被害想定を行う軍官僚たちは、核兵器による大量破壊の被害についてはさほど重視はしていませんでした。
この状況は核兵器が開発された当初からそうであり、現在もそのままです。

NWE(核兵器時代)の幕開けから、アメリカ合衆国は世界に向けて圧倒的な力を誇示し、盤石の国家安全保障を手にしました。
アメリカの軍事力は北半球において突出し、大西洋と太平洋、そしてその両岸において覇権を確立していました。

第二次世界大戦が始まるずっと前からアメリカの国力に及ぶ国家は存在せず、経済的な豊かさにおいて突出した存在となっていました。
そして戦争が始まると他大陸・他国の産業界の荒廃が進み、あるいはほとんど力を無くしていく中、アメリカの産業は反比例して活況を呈しました。

英国空の戦い
こうして新しい時代の幕開けとともにアメリカは世界中の富の半分を所有する国家となり、工業生産能力に至っては、さらに大きな割合を占めることになったのです。

しかし、そのアメリカにも潜在的な脅威がありました。
核弾頭つきの大陸間弾道ミサイルです。

この脅威については、専門研究部門において恒常的に議論が行なわれ、その記録は政府高官だけが閲覧可能とされていました。
ケネディ、ジョンソン両政権において、国家安全保障問題の顧問を務めたマクジョージ・バンディがまとめ上げたこの報告書には、次のような題名が付されました。
危険、そして生存 : 喫緊50年間の爆弾についての選択

バンディは次のように記しました。
「戦後間もなく大陸間弾道ミサイルを開発完成させたことは、8年間のアイゼンハワー政権における最高の業績の1つでした。
しかし一方でもし、このようなミサイルが開発されることが無ければ、アメリカ合衆国とソビエト連邦が核爆弾によって、今日これ程危険な状況に追い込まれることは無かったかもしれません。」

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そしてバンディは興味深い注釈を加えました。
「核弾頭を搭載した大陸間弾道ミサイルについては、どうにかして禁止しなければならないと考えていますが、現段階においてはアメリカ政府、ソビエト連邦政府、その内部からも周辺からも、そうした提案をする意思があるとは一切聞いていません。」
簡単に言えば、アメリカ社会を根こそぎ破壊する恐れがある脅威、ソビエト連邦との核戦争を完全に防ぐことが出来る方法というものは存在しなかったという事です。

その脅威は現在、無くなったのでしょうか?

もちろんそんなことは、私たちが知りようがないことです
しかしその可能性が完全に無くなったとは考えられません。

ロシアは産業技術開発、そして先端技術分野においてアメリカによりはるかに遅れており、核兵器によって国を根こそぎ破壊されてしまうという恐怖をアメリカの何倍も感じていました。
それに加え核兵器のシステムもアメリカに比べれば、その信頼性は明らかに低いものでした。

水爆実験01
そのような可能性について検証する機会はあったかもしれませんが、当時のソ連を支配していたものは今日の我々が想像もできないようなヒステリックな感覚であり、問題に気づくことすらなかったと考えられます

そのヒステリックな感覚は現代の私たちの想像を超えるほどのものです。

国家安全保障会議文書第68号(NSC-68)という名の公文書がその時のソ連の状況について分析を行い、そこに記された記録された結論は今でもまったく衝撃的なものです。
ディーン・アチソン国務長官は「真実よりもさらに明確に」すべきことがあるとして、この文書の公開を禁止しましたが。

1952年、ヨシフ・スターリンが重要な提案を行いました。
東西に分裂していたドイツを再統一の上非武装中立国として独立させ、自由主義国家とすることを提案したのです。
これは注目に値する提案でした。

スターリングラード01
この提案が行なわれるまでの50年間、ドイツだけが2度もロシア領内に進攻し、破壊をほしいままにしました。
ロシアが支払った代償は恐ろしい程高価なものだったのです。

-《3》へ続く -

http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/aug/06/hiroshima-day-nuclear-weapons-cold-war-usa-bomb
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この長い評論を掲載するについては、当然翻訳作業は掲載より先に進んでいるわけですが、作業を続ける中で気がついたことがあります。
それは広島、長崎に原爆を投下することを決定したアメリカ軍の官僚たちが望んでいたことは、できるだけ衝撃的な結果が出ることにより、アメリカがそれだけの力を現実に手にしていることを全世界を相手に思い知らせる事だったのではないか?ということです。
そしてあれ程の数の人々が犠牲になってしまう事は、実はそれほど緻密には計算されていなかったのではないか?という事も…。

あまりにも多くの市民が無残に殺害された結果を見て、原爆の開発に参加した科学者の多くが自責の念に駆られたことが歴史に記されていますが、軍の官僚たちはどうだのったのでしょうか?
「仕方も無いことさ…戦争なんだから。それにこの戦争を始めたのは日本人の方だったはずだ…。」
ため息とともにそんな声が聞こえて来そうです。

だからこそ、決して戦争には手を染めてはならない、はずなのです。

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【 待望の国境越えが実現した難民たち 】

アメリカNBCニュース 9月5日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

難民01
何日もの間ハンガリー国内で足止めされていた主に中東地域からの難民たちに対し、ついにドイツとオーストリアが国境を開き、待ちかねていた何千人もの難民がなだれ込むように両国に移動しました。
9月5日にミュンヘンの主要な鉄道駅ハウプトバーンホフに到着した、約800人の主にシリアからの難民。その中にはアンゲラ・メルケル首相の肖像写真を携行する難民の姿も。
まずオーストリアに入国した難民たちは、徒歩でハンガリーの首都ブタペストまで移動した後、バスに乗せられてハンガリー・オーストリア国境まで移動し、さらにその後専用列車でドイツに向かいました。(写真上)

9月5日、オーストリアのザルツブルグからミュンヘンに到着した難民の少年が、鉄道警備隊員の帽子を手に取り、笑顔を見せています。(写真下・以下同じ)
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ミュンヘンのハウプトバーンホフ駅に到着した後、ミュンヘン市内を歩く難民の親子。
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9月5日ハンガリーからオーストリア領内のニッケルズドルフに到着し、一息つく難民たち。
彼らはこの後、さらにドイツをめざして移動を続けることになります。
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9月5日ハウプトバーンホフ駅に到着した後、ミュンヘン市の医療担当者による簡単な健康状態の検査を受ける難民。
難民05
9月5日オーストリア領内のニッケルズドルフに到着し、さらに移動するためのバス待ちの間、シャボン玉で遊ぶ子供。
第二次世界大戦以来最大規模の難民流入について、ウィーン市当局はこの問題はヨーロッパ全体が真剣に取り組むべき「警鐘」であると表明しました。
難民06
http://www.nbcnews.com/storyline/europes-border-crisis/thousands-migrants-stream-austria-germany-after-ordeal-hungary-n422351

 

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