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【 原子力の真実:広島、長崎から六ヶ所村再処理施設、安全保障関連法案…つながる一本の線 】《1》

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所要時間 約 8分

血だらけの衣服、身体中に突き刺さったガラスの破片…233人の女学生の中たったひとり生き残った私の姿
原爆の熱線は人間の体内の液体を瞬時に沸騰させ、皮膚がそのまま剥がれずり落ちる現象を引き起こした
原爆投下後の惨憺たる光景は、強烈な臭いの記憶とともに脳裏に焼きつき、今日まで被爆者を苦しめ続けた

金子千穂、フェアウィンズ理事会メンバー / フェアウィンズ 10月18日

FW Title 1
今回は特別ゲストのブロガーとして金子千穂さんに登場してもらいます。
千穂さんは、多くの才能を併せ持つ女性です。
英語と日本語の両方に堪能であり、経験豊かな翻訳者、コラムニスト、著者、アーティスト、ピアニスト、そして歌手でもあります
そしてフェアウィンズの理事としての献身的活動に加え、世界中の人々のために尽くしたいという彼女の勇気と思いやりに心からの敬意を表したいと思います

金子千穂:
私は2015年4月、国連において日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のためにボランティアの通訳を務めました。

2015年は広島と長崎が原爆の被害を受けて70周年にあたる年であり、日本原水爆被害者団体協議会は国連で行われる核拡散防止条約会議の再検討会議に大人数の代表団を派遣しました。
核拡散防止条約会議への代表団は被爆者で構成されていました。
彼らは原爆が投下された『その日』の体験、そして被爆者として過ごした日々、週、月々の過酷な体験について語りました。

私は直接耳にした被爆者の体験に愕然とさせられました。

「当時私は7歳でしたが、4歳の弟、そして同年齢のいとこと一緒に外の通りで遊んでいました。
突然閃光と爆発があたり一帯に襲いかかりました。
通りに面した家がすべてなぎ倒され、そして紙でも燃えるようにたちまち炎を吹き上げました。
私と弟は近くにあったビルディングの風下側にいて、奇跡的にかすり傷ひとつ負いませんでした。
しかしいとこは違いました。
熱線をまともに浴びてしまったのです。
いとこが死んだのは3日後でした。」

広島33
「私は当時13歳で女学校に通っていました。その日の朝8時15分でした。私たちは広島市の中心部から少し外れた場所にある工場の外にいました。
その時同級生の一人が急に叫び声をあげました。
『B29がいる!』」
「そのB29が白いパラシュートを一個放出したのがはっきり見えました。
次の瞬間あたりの建物が熱線を浴びて燃え上がり、私は衝撃波で身体を逆さまにされ吹き飛ばされました。
倒壊して瓦礫の山と化した工場跡からやっと這い出した時、私は自分が来ていて制服が自分の鼻血で血だらけになっていることに気がつきました。
そして体中にガラスの破片が突き刺さっていたのです。
その日の朝は、この工場で勤労奉仕を行うため、女学校の1年生全員233人が集まっていました。」
「生き残ることかできたのは、私一人だけ…誰も助かりませんでした。」

人類史上初めて罪のない人々の上に落とされ邪悪なまでに恐ろしい破壊を行った原爆の被害を生き延び、国連まで来てご自分の体験を語られた勇気ある方々とお会いし、私は改めて問題意識を新たにするとともに、もっともっと原爆の真実について学びたいと思いました。

長崎01
2015年8月、日本で暮らしている家族のもとを訪れた際、私は原爆投下70周年の節目に制作されたテレビの特別番組を見ました。
原爆を生き延びたひとりの女性の証言を聞いた時、私は全身が凍りつく思いをさせられました。

「当時私は13歳でした。原爆が投下された数時間後、私は治療を待つ人々の列に並んでいましたが、少し前の方に父がいることに気がつきました。
ああ、よかった…お父さんもあの信じられないほど恐ろしい爆弾の被害を生き延びたんだ、私はそう思いました。
私は父のところへ行き、その腕を両手でつかみました。
すると父の袖が、肩のところからずるずると抜け落ちました。
私の手の中にあったのは父の上着の袖ではありませんでした。
私が父の身体から剥ぎ取ったのは、父の腕全体の皮膚だったのです。」
「私はすっかり混乱してしまいました。
なぜ父の腕の皮膚がすっぽり抜け落ちてしまったのだろう?」

「後になって私はその理由を学びました。」
「原爆の熱線を浴びた人間の体内では、汗や血液などの液体は瞬間的に沸騰します。
沸騰した液体が皮膚から蒸発すると、その部分が閃光熱傷を引き起こすのです。
原爆投下後、かろうじて生き残った人々が幽霊のように歩き回っていたという目撃証言が数多くありますが、これらの人々は腕を前に垂らし、その腕や手からはボロきれ、ずたずたの雑巾になったような皮膚が剥がれ落ち、ずり落ちていました。」
「中には敗れた腹部から腸が擦り落ちてきそうになるのを、自分で抑えている人々もいました。」

平和祈念資料館02
原爆の最初の衝撃を「生きのびた」人々も、その多くが数時間のうちに死んでいきました。
そしてまた2、3日以内に、さらに多くの人々が死にました。
生き残った中で広範囲な火傷を負った人々は、日本の蒸し暑い真夏の季節、患部にわいた蛆(ウジ)に苦しめられることになりました。
何人かの生存者は、家族の身体にわいた蛆を取り除く作業をしなければならなかったと語りました。

こうした情景はその時の表現のしようのないひどい臭いを伴い、強烈な記憶となって生存者の脳裏に焼きつけられ、今日この日まで被爆者を苦しめ続けてきたのです。

-《2》へ続く –

http://www.fairewinds.org/nuclear-energy-education//nuclear-is-atomic
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【 10月22日までの報道写真から 】

アメリカNBCニュース 10月19日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
Week 1
10月16日テキサス州スミスヴィル近くで、山林火災現場でくすぶる松の木にバケツで水をまくナショナルガードのヘリコプター。
テキサス州中部ではこの山林火災で7平方マイル以上、40棟の建物が焼失しました。(写真上)

10月20日クロアチアから入国したシリア、イラク、アフガニスタンの難民を誘導するスロベニアの騎馬警官。(写真下・以下同じ)
流入する難民の増加は社会不安、犯罪、そしてイスラム国(ISIS)のテロリストの流入など、様々な憶測を生んでいます。
Week 2
10月16日ハンガリー兵士が国境を封鎖する前に、急いで国境を越えようとする難民。
ハンガリー政府は「不法」移民の流入を防ぐために有刺鉄線フェンスを張り巡らしました。
Week 3
10月20日フィリピン北部のサラゴサで、台風のため浸水した道路を耕運機トレーラーで引かれていく人々。
Week 4
10月16日メキシコチアパス州、16世紀中頃に建設され1966年にネサウアルコヨトル・ダムが建設された際に水没したサンチァゴ教会の残骸。
干ばつによりダム湖の水位が下がり、再び姿を現しました。
Week 5
http://www.nbcnews.com/news/week-in-pictures/week-pictures-oct-15-22-n449681

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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