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【 都合の悪いことは何もかもが闇の中、それが原子力発電 】[IPS]

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所要時間 約 12分

ものすごく金がかかる上に、危険極まりないエネルギー開発手段をわざわざ択ぶ理由を、国民に対し明らかにせよ

ランジット・デヴラジ / インター・プレス・サービス(IPS・イタリア)1月25日

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インドは約5年前に原子力発電国の仲間入りをしました。
これでインドはすぐにでも石炭や石油への依存から脱却し、経済成長の進行に合わせて必要な電力を供給するための方法を見つけだのだと、その時誰もが思いました。

今ではインドの原子力産業は19基の原子炉を持ち、約4,000メガワットの発電量を実現するに至りました。
1974年に初めて核実験を行って以来、1994年にはアメリカ合衆国が主導する包括的核実験禁止条約に反対するなど、紆余曲折を経てたどりついた道でした。

189か国が加盟したした核拡散防止条約(NPT)への調印を拒否した事もまた、インドの孤立化を招きました。
しかし2008年9月、米国はインドと原子力協定に合意し、NSGに特別扱いを提案、原子力供給国グループ(NSG、日本など45カ国)がインドへの禁輸解除を承認しました。
禁輸解除に伴い、インドはその長い海岸線沿いに海外からの投資を呼び込んで『原子力発電所地帯』の建設に乗り出し、2020年までにさらに40ギガワット分の原子力発電の実現を目指しています。

この計画の作成にあたった人間たちが見落としていたものがありました。
地震によって原子力発電所が事故を起こし、従来の暮らしと生計手段を奪われてしまうことを恐れ、猛烈な反対運動に立ち上がった農民たち、漁師たち。
そして知識人を中心とするグループが告訴を行い、最高裁が推進を見合わせるよう下した判決です。

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「インドの海岸線一帯に、おびただしい数の原子力発電所を林立させるという計画に対し、原子力発電がどんなものかあまり知られていなかった始めの頃は、心配する人はほとんどいませんでした。」
アメリカのプリンストン大学にある二つの研究機関、原子力の未来に関する研究所、そして科学と地球環境保全プログラムから指名を受け、共に研究をしているM.V.ラマナ博士がこう語りました。
「しかし原子力発電所が多量に使用する天然資源をめぐる争いは激しくなっており、新たな原子力発電所を建設することに対する反対は年ごとに強まっていくでしょう。たとえば原子力発電所は多量の水を必要としますが、インド国内の水不足の問題は年ごとに深刻になっているのです。」
IPSの電子メールでのインタビューに対し、ラマナ博士がこのように答えました。

「漁民たちはすでに自分たちの生活が、原子力発電所によって脅かされている事実を目の当たりにしています。原子力発電所、および関連する産業による海への排水は中でも重要な問題です。」

現在西マハーラーシュトラ州のジャイタプルではフランスのアレバ社によって建設が進められている、9,900メガワットの原子力発電所に対する激しい反対運動が展開されています。
また、南タミル・ナド州のクーダンクラムでも同様の反対運動が起きています。

ラマナ博士は住民の移転が大きな問題なっていると語りました。
「原子力発電によってこれまで行われてきた補償は、到底満足できるレベルのものではありませんでした。」

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国内で膨れ上がる一方の原子力発電に対する反対運動に対し、原子力産業はどう対処したらいいのでしょうか?

「まず第一に原子力産業側は、インドの野心的な原子力発電所建設計画と民主主義の実現とは、相いれないものであるという事を理解しなければなりません。」
ラマナ博士がこう答えました。
「クーダンクラム、ジャイタプル、いずれの場所の反対運動も、住民たちの意見が政策に全く反映されない事への怒りによって、大きくなってきました。

特にジャイタプルの場合、地質学者によって地震に弱いことが指摘されており、福島第一原発と同じような事故が起きることへの恐怖が大きくなり続けています。

インドの代表的な地震学者で、世界的にも有名なバンガロールにあるインド天体物理学研究所の教授のビノード・クマル・ガウアー博士は、発電所が行った付近一帯の地盤に関する調査には、重大な欠陥があると指摘しました。

ガウアー博士によると、1967年に発生したマグニチュード6.4の地震により、ジャイタプル原子力発電所から110キロの場所にあるコンヤダムに、大きな亀裂が生じたことは、深刻な懸念材料になり得ると語りました。

もう一つの重大な懸念は、1524年、ジャイタプルから北に100キロの場所が巨大津波に襲われた記録がある事です。
これまでインドでは原子力発電所の建設計画において、津波による被害、離れた場所で発生する地震による影響については、検証が行われてこなかったのです。

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「科学的な調査を通して確証、または反証を積み上げていくことは、ジャイタプル原子力発電所の地震の発生に対する安全性について検証する際、非常に重要な要素になります。」
「日本の福島第一原発で起きた事故が証明したものは、原子力発電所の設計においては、
可能性のあるあらゆる災害について、ひとつも漏らすことなく備える必要があるということなのです。」
ガウアーはIPSの取材に対し、こう答えました。
「同時に大切なことは、人々が疑いを抱くことの無いよう、科学的調査によって得られた結果を誠実に開示することです。」

ラマナ博士は、今こそインド原子力発電庁(DAE)はその秘密主義を止め、計画されている原子力発電所に関する情報開示を行い、発電所周辺の住民を中心に、国内において幅広い議論を行うべき時が来ていると語りました。
「インド原子力発電庁(DAE)は、建設中の原子炉は『100パーセント』安全であり、原子力発電所が事故を起こす確率は限りなくゼロに近いなどという、科学的に全く根拠のない主張を止めるべきです。たとえその確率が小さいものであっても、原子力発電所が事故を起こさないなどという事はあり得ないのです。」

「原子炉を稼働させれば、放射能汚染物質の漏出を避けることは出来ません。そして温排水の問題が加わり、周辺の環境に影響が及ぶことになります。影響がどの程度のものになるか、その点に関する議論こそが必要なのです。影響があるかどうか、『影響が無い』などという事はありえないのですから。」
「もしその地方の住民が、原子力発電所の建設を受け入れることはどうしてもできない、そう結論を出した場合には、原子力発電庁は建設計画を取りやめなければなりません。」
しかし原子力発電庁は、クーダンクラム原子力発電所の建設に反対する『原子力発電に反対する国民運動(PMANE)』が要求した、公開協議の開催を拒否しました。

「公開協議の場を設けることは、福島第一原発の事故の後、特に大切になった事のはずです。」
PMANEのリーダーであるS.P.ウダヤクマル氏がこう語りました。
「福島第一原発の事故は、原子力発電所が事故を起こせばどれだけ恐ろしいことになるか、人々が理解するために最適な材料になりました。」

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「市民が繰り返し公開協議の開催を求めている以上、このものすごく金がかかる上に危険極まりないエネルギー開発手段をなぜ選択するのか、関連する一連の問題を説明するため、首相は自ら進んで公開協議の場に臨むべきです。」
同じく原子力発電に反対する立場の、グリーンピース・インドのカルナ・ライナがこう語りました。

そして野心的な原子力発電所建設計画の前に、さらなる壁が築かれることになりました。
インドの著名な知識人たちが、司法による詳細な安全性の検証が終わるまで、すべての原子力発電所の建設を中断するように求める嘆願書が、2011年10月、最高裁判所に提出され受理されたのです。

この嘆願書はインドの核開発計画が、国民の「生きるための基本的権利を侵害している」と訴えています。

http://www.ipsnews.net/2013/01/all-unclear-over-nuclear/
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この記事が伝えているデモの様子は、一度ご紹介したことがあります( http://kobajun.biz/?p=4707 )。
インドの正常に関しては知識が無くコメントできませんが、過去にご紹介した中にはインドの場合は、かえって小規模な再生可能エネルギーによる発電の方が問題が少ないという記事もありました( http://kobajun.biz/?p=6069 )。

原子力発電の素性のいかがわしさを感じる報道です。

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【 ご存知ですか?北半球で最も寒い場所での生活 】

アメリカNBCニュース 2月18日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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1月の半ばにシベリアの都市、ヤクーツクを訪れた人は、視界にある何もかもが真っ白に覆われている様子を見て、呆然とすることでしょう。
雪の上に突き出ている信号、そしてガスのパイプラインのおかげで、どこが道路なのかがかろうじてわかります。
何もかもが霜と凍った霧で覆われ、気温が氷点下48度の中にいると、このまま世界が凍りついてしまうような恐怖にも似た感情に支配されます。
北極圏にあるオイミャコン渓谷は、北半球で最も寒い場所として知られています。
この地方での気象観測は1920年代の終わりに始まりましたが、1933年には摂氏マイナス67度(華氏マイナス88度)の最低温度を記録しました。

それでもオイミャコン渓谷の中心にあるトムトアには、学校も、郵便局も、銀行も、そして空港すらあり、人間に必要な文明は揃っています。もっとも滑走路が一本だけのこの空港が利用できるのは、夏の間だけですが。

私はどうしたらこのように過酷な環境の中で、人間が暮らしていけるものなのか、この場所の人々に尋ねずにはいられませんでした。

40代の陽気な村人、セルゲイ・ズヴェレヴがまだ学校に通っていたころ、気温が摂氏マイナス65度まで下がったことがあり、さすがにその時は休校になったと話してくれました。
しかしその日、彼とクラスメートたちは凍りついた道路の上でサッカーを楽しんだそうです。

(上の写真)ロシア北東部にあるサハ共和国のヤクーツク郊外、レナ河畔に氷で作られた、ギリシャ(ロシア)正教の祭壇。1月17日。
英国気象台によれば、1933年、オイミャコン渓谷では摂氏マイナス68度を記録したことがあり、これは20世紀以降北半球で観測された気温の中で最低の記録です。

トラックに氷のブロックを積み込む男性の顔も凍りついている。ヤクーツク郊外、1月17日。(写真下・以下同じ)
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トラックの運転席の中で酒を飲む男性。イティクイリョル村、1月20日。
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トムトア村の民家。1月24日。
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1月26日、オイミャコンの村でポーズをとる女の子。
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41歳の気象学者セルゲイ・ブールツェフが、トムトア村の上空に観測気球を飛ばす準備をしていました。1月30日、オイミャコン。
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サハ共和国のヴォストークナヤ気象観測所付近。1月20日。
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