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【 「私は戦争中の日本人を決して許さない!」泰緬鉄道から長崎まで:地獄を歩かされた英国人70年目の告発】《1》GRD

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所要時間 約 9分

歴史の証人たちが死に絶えるのを待って歴史を歪曲する、そんな行為が許されるはずがない
18歳から21歳、青春の魂を日本軍の無差別暴力・組織的暴力にずたずたにされた元捕虜が告発する
連合軍が捕虜収容所を解放する前に、捕虜を皆殺しにしようとした日本軍

ジ・オブザーバー / ザ・ガーディアン 7月26日

from Bruma
ジャン・ブラス氏は、原爆の惨禍を目撃する以前、日本軍の捕虜として長期間に渡り強制労働に耐えなければなりませんでした。

ジャン・ブラス氏は原爆の惨禍を目撃する直前まで、日本軍の捕虜として長期間に渡り強制労働に耐えなければなりませんでした。

92歳になった今、ブラス氏は彼が耐えなければならなかった恐怖と残忍な仕打ちについて、オブザーバーの取材に答えました。
彼は今も尚、その記憶を消し去ることが出来ずにいます。

ブラス氏はどんな小さな命でも、決して奪うことはありません。
テーブルの上を這いまわるハエを見つけたブラス氏は手のひらですくい取り、窓を開けて外に逃がしました。
「命という事を考えたとき、反射的に心に浮かぶのは大切に守らなければならないという感覚です。人間でも、他の生き物でもそれは同じです。」
彼は妻とともに57年以上暮らしているロンドンの中心部にあるフラットのベージュ色のソファーに腰掛け、こう語りました。
「すべての命は私の人生の一部なのです。」

彼は92歳になった今も、多感な青年時代である18歳から21歳までの間に、日本軍の捕虜として目撃し、体験させられた許しがたい暴力を思い出すと冷静ではいられなくなると語りました。

色々な意味でブラス氏の経験はヨーロッパ戦線の数々の記憶とは対照的な、第二次世界大戦太平洋戦線の歴史そのものでした。

8月15日は対日本戦の70回目の戦勝記念日ですが、年々生存者が減り続ける中、ブラス氏が語ってくれた経験談はますます貴重なものとなっています。

泰緬鉄道02
実に長い間、ブラス氏は第二次世界大戦(太平洋戦争)において経験しなければならなかったことを、話そうとはしませんでした。
まして公的な場で語るのは今回が初めてです。
多くの生存者がそうであったように、戦争が終わった後、ブラス氏は自らが体験したことを周囲に語って聞かせることができませんでした。

その体験の苛烈さを、言葉だけで表現することは不可能だったのです。

「父は最近まで母にも私にも、決してその話をしようとはしませんでした。口を開くようになったのはここ10年ほどのことです。」
ブラス氏の娘、ジーナ・ジェニングズさんがこう語りました。

「私が思うに、話して聞かせたところでにわかには信じがたい話ばかりなので、生存者の人々はわざわざ口を開いて周囲の人々を不快にさせることはないと考えているのだと思います。」

しかし10年ほど前から、ブラス氏の体験にまつわる話が奔流のようにその口からほとばしり出るようになりました。
はじめは断片的なエピソードばかりでしたが、やがて全ての事実が語られ始めたのです。

彼の親友が殺されるのを、ただ見ているしかなかったときのこと…
兄が処刑されてしまうかもしれない…その恐れにいてもたってもいられなかった日のこと…
仲間の捕虜たちと一緒に自分たちの墓穴を掘らされたときのこと - 敗北が避けられないと知った日本軍は、連合軍が捕虜収容所を解放する前に、捕虜を皆殺しにするつもりだったのです。

泰緬鉄道04
「どれも身の毛のよだつような話ばかりでした。」

ジーナさんは自分が成長した後、父が権力に盲従することを完璧に拒否する人であることを心に刻みこまれることになりました。
そして彼女は自分自身も父が経験させられたことと向かい合い、それを受け入れることが今だにできないことに気がつきました。

「それは無差別暴力です。
それは常につきまとい、頭から決して離れることのない恐怖でした。
現代の人々はいわゆるごく普通の日常の中にいます。
しかし私たちが今一緒にいて大切にしている人々は、現実に極めて酷い扱いを受けていたのです。」

共通の友人を通し、最初に連絡を取って来たのはジーナの方でした。
彼女はその死によって、父が第二次世界大戦(太平洋戦争)で体験されられたことの記憶が無になってしまう事を恐れていました。
現在では1945年5月に対ドイツ戦に勝利したヨーロッパ戦勝記念日ばかりが脚光を浴びる中、英国軍兵士の太平洋戦線における事歴は、一度だけ映画『戦場に架ける橋』で取り上げられたことがあるものの、このままでは忘却の彼方に追いやられる危険がある、彼女はその事を心配していました。

泰緬鉄道06
これは一人の男性が体験した戦争の物語です。
同時にその体験について語ることの無いままこの世を去った、日本軍の捕虜となった数多くの連合軍兵士の物語でもあるのです。

《2》に続く
http://www.theguardian.com/world/2015/jul/26/nagasaki-man-who-walked-through-hell-jan-bras
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第二次世界大戦(太平洋戦争)が終わって70年、なぜここに来て日本では急に右翼の国家主義者たちの動きが活発になって来たのでしょうか?
1945年当時20歳だった方は今年90歳、30歳だった方は100歳…
彼らは、時の証人たちが亡くなられてしまうのを待っていたのではないでしょうか?
事実を知る人々が世を去ってから、圧力をかけ、自分たちの思い通りの歴史に書き換えてしまう。
まさに卑劣。

しかしその姿勢を強めれば強める程、強まる声もあります。
ここにご紹介するのも、そうした声のひとつです。
本文中にある通りブラス氏は正確には当時オランダ人であり、その後英国に帰化された方ですが、翻訳の中では英国人としてご紹介させていただきます。
長い記事で全4回ほどに分けて掲載します。

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【 今日の報道写真から : 8月3日 】

アメリカNBCニュース 8月3日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

DAY01
フランス北岸のカレーで、ユーロトンネル・ターミナルの近くの線路を渡る不法移民たち。
数百人の不法移民が海峡トンネルに入り、イギリスに向かう列車にもぐり込もうと機会をうかがっています。(写真上)

インドのコルカタで、学校に迎えに行った娘を自転車に乗せて泥水の中を進む男性。
モンスーン嵐による豪雨が襲い、インド東部では洪水と地滑りが相次ぎました。
インド政府の担当者と救援にあたっている団体は、この嵐で75人が死亡し、数万人が国が用意した救援キャンプに避難していると語りました。(写真下・以下同じ)
DAY02
マケドニアとギリシア国境をセルビアに向けて走り抜ける列車の窓から外を眺める、難民の男性とその子供。
不法移民と化した多くの難民が、マケドニアとセルビアを横断し、ハンガリーに入ろうとしています。
ハンガリーはビザなしで裕福な西欧社会に入ることが出来る、移民たちにとっての玄関口なのです。
DAY03
8月2日、カリフォルニア州クリアレイク付近で、山林火災の監視をする消防士。
カリフォルニア州北部では干ばつが続き、大規模な山林火災が多発しています。
day04
8月2日、カリフォルニア州クリアレイク付近で、迎え火(山林火災で、延焼を防ぐため前方の可燃物を焼き払うこと)をする消防士。
Day07
新しく開発された「エリカ」という名前のアンドロイド・ロボットと会話するジャーナリスト。東京の国立博物館。
DAY05
シリア軍ジェット戦闘機が、反政府組織が支配する北西部の町アリハのにぎやかな市場に激突した現場。解っているだけで27人が死亡し、多数が負傷しました。
目撃者はロイターの取材に対し、この日の早朝戦闘機は街の中心部に爆弾を投下した後、市場に突っ込んだと語りました。
Day06
http://www.nbcnews.com/news/photo/today-pictures-august-3-n403511

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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