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【 ヒロシマ、その心の傷の大きさ、そしてその深さ 】《第2回》

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所要時間 約 7分

全身が真っ黒に焼け焦げ、体のあちこちから血を流しながら歩みよって来た人々
原爆犠牲者のあまりに無残な姿、70年近くを経た今でも「私はあの人たちに会うのがこわい…」
被爆後の広島 - 何万というハエが至る所に放置された死体に群がり飛ぶ、文字通りの暗黒世界

サラ・スティルマン / ニューヨーカー 2014年8月12日

原爆
「放射線!熱線!そして爆風!」
富子さんは1945年8月6日の彼女の記憶について、こう切り出しました。
この時彼女は言葉を一語一語切るように、そして激しい身振り手振りを加えながら話しました。
紙に白いものが混じった小柄な女性は顔面を紅潮させ、爆発による破片が今まさに飛んでくる様子を描写するために、指をすぼめた小さな手で何度も自分の頭を叩きつづけました。
そしてある場面ではズッキーニの皮がむけるように、火傷によって剥がれ落ちてくる皮膚をむしり取って投げ捨てる様子を再現するために、部屋の中をいったり来たりしました。

しばらくすると彼女は椅子に腰かけたまま目を閉じ、何も言わなくなりました。
そして突然こう口にしたのです。

「私はあの人たちに会うのがこわい…」

彼女は過去形では無く、現在形でこう語りました。
19歳のあの時に戻っていたのです。
それと同時に88歳の今も、その気持ちに変わりはないのかもしれません。

「何かわからないものが爆発しました。そして私はそれを目撃させられました。」

広島05
それは朝8時15分に起きました。
人びとがこれから働き始めようとしていた時間帯です。
爆弾が投下された直後、彼女は勤務先のタバコ工場でしばらくの間意識を失っていました。
「意識を取り戻した私は、階段を一気に駆け下りて防空壕に飛び込もうとしました。」
「辺り一面煙で何も見えませんでした。市内全域に煙が充満していたのです。」
「全身が真っ黒に焼け焦げ、体のあちこちから血を流しながら橋をこちら側に渡って来る人々を目撃しました。
市内全域が炎に包まれていました。
そして夜になって、黒い雨が降ったのです。」

何とか気持ちを奮い立たせ、彼女は同僚と一緒にいくつもの橋を渡り、海の方に向かって歩き始めました。

彼女は広島市の西の外れで電車に乗ることが出来ました。そして姉妹を探しましたが、結局は出会う事も出来ませんでした。
途中、爆風で軌道から外れたトロリー式の市電の車両を見かけましたが、中は焼け焦げた死体でいっぱいになっていました。

広島12
一夜を過ごした後、富子さんは探し求める妹からの伝言が無いかどうか確認するために自宅に戻りました。
そこで彼女は「学校に避難しています。」というメッセージを見つけました。
その後姉と妹の2人はその後の数日間、避難所と化した学校にとどまることになりました。
その場所、そしてその時間はまさにディトスピア(ユートピアの反対。暗黒世界。)でした

「何万というハエが、至る所にある死体に群がって飛んでいました。」
彼女が記憶の糸を手繰り寄せました。
「いつしか私たちの挨拶は、『だいじょうぶ?下痢してない?』というものに変わっていました。」

原爆で死んでしまった人々以上の苦難を、生き残った人々は耐えなければなりませんでした。
そしてそれは日ごとに苛烈さを増していったのです。
富子さんを含めた何割かの人々は、間もなく悲惨な原爆後遺症が幽霊のように自分の身に取りついてしまったことに気づかされることになりました。

その症状に決まったパターンは無く、症状が現れるタイミングもバラバラで、当の本人がその症状を明確に把握するこが不可能であり、まして傍で見ている人にとってはまったく理解不能なものだったのです。

* * *
広島03
私は無知なため、アメリカ国内で言えばパープルハート勲章を与えられた負傷兵士程ではなくとも、原爆の生存者である被爆者は、日本国内においてある種のいたわり、あるいは敬意を向けられる存在であると考えていました。

そうした私の誤りを訂正するのに、富子さんの家族は時間を無駄にはしませんでした。
彼らは私にこう説明しました。
「被爆者になるという事は、敬意の対象では無く、差別の対象になるという事なのです。ですから自分が被爆者であるという事は、隠せるものなら隠し通したい事実なのです。」

孫の代になっても、祖父母が被爆者であるという事を恋人や配偶者に知られてしまう事を恐れなければなりませんでした。
被爆者の孫である以上、体内の遺伝子に損傷があるはずだと判断されるのを何より恐れなければならなかったのです。

結局、富子さんの家族は彼女のために台湾で高位の警察官との見合い結婚を進めることになりました。
富子さんの20代前半の時期、家族は台湾に移住していました。
結婚話が進む中、家族は自分たちが被爆者であることを隠し通すことにし、富子さんにも妹にもその事実に一切触れないように言ったのです。

広島02
「結婚式の場で、花束を持つ私の手は震えていました。」
富子さんがこう振り返りました。
結婚した後、富子さんが被爆者であるという事実を知ると、夫はかつて見せたことが無い程怒り、激高しました。
離婚はしませんでしたが、富子さんの夫は生涯『自分は騙された』という感情を捨てることはできませんでした。
みのりさんがこう説明してくれました。

〈 第3回に続く 〉

http://www.newyorker.com/news/news-desk/hiroshima-inheritance-trauma
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この第2回は、翻訳している途中で大きなため息を何度もつかなければなりませんでした。
被爆者の方々の体験について、私はあまりにも無知であったからです。

私が昭和40年代に通った高校はいわゆる進学校というもので、高1で地理、高2で世界史、高3で日本史をかなり詳しく勉強させられましたが、被爆者の方々については何の勉強もしませんでした。
一方、7世紀だか8世紀だかの白鳳文化だの天平文化だのについてはやたらと時間をかけて教えられました。
21世紀を生きることになったこの身を思う時、「どっちが大切だ!」と叫びたい心境です。
私は世界唯一の被爆国に生まれていながら今日まで結局、ヒロシマに込められたメッセージを生かすどのような機会も作りだすことが出来なかったのですから…

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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