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【 シリア難民受け入れ拒否に心を傷める、日系アメリカ人たち 】《後篇》

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所要時間 約 8分

隣人同士の会話も筒抜けだった日系アメリカ人の収容所での生活
収容所から解放された時、多くの日系アメリカ人が家も土地も失ってしまっていた
「人種的偏見、戦時ヒステリーと政治的指導者の過誤」が日系人を収容所送りにした

ジョン・エリゴン / ニューヨークタイムズ 11月26日

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真珠湾攻撃の後、多くの日系人が収容所に拘留される中、当時の法の執行機関はフジクラさんの父のミノル・ヤスイ氏について
「彼は潜在的に危険な在留敵国人である。」
と宣言したことをフジクラさんは覚えています。

ミノル・ヤスイ氏がアメリカにやって来たのは戦争が始まる40年ほど前だったと彼女が語りました。
ヤスイ氏はオレゴン州のフッド・リバーに居を構え、家族で土地を購入し果樹園を経営すると同時に、兄弟と一緒に雑貨店も経営していました。
フジクラさんは当時店のドアに置かれた看板を思い出しました。
「外国人が所有する商店は休業中」

ヤスイ氏の9人の子供たちの中で一番の年下だったフジクラさんは、最終的にカリフォルニア州トゥレレイクにある最大規模の強制収容所に送られる前に、母親ともう一人の兄弟と一緒に同州パインデールにある一時待機場所に連れていかれました。
「その時誰かがこう言ったのです。『君は14歳だね。ああ、それだとキャンプ送りになってしまうな。』キャンプという言葉を聞いて、私はガールスカウト・キャンプ、あるいはキャンプ・ファイヤのようなものを思い浮かべました。」
フジクラさんはこう語りました。

日系人02
しかし彼女は、すぐにとんだ思い違いをしたことを痛感させられることになりました。
数人の人々は最終的に強制収容キャンプに送り込まれる前、不快な臭いのする家畜厩舎の屋外市場のような場所に留め置かれたことを覚えていました。
別の人々は夏の間バラックの中がうだるように暑かったことを覚えています。

トゥレレイクの強制収容施設ではフジクラさんはタール紙で区切られた住居スペースに住んでいました。
バラックの中のその住居は間仕切りの壁が天井まで届いていなかったため、隣人同士何を話しているかが筒抜けの状態でした。
共同トイレとシャワーには、扉がありませんでした。

最終的に強制収容キャンプが1946年に閉鎖された頃には、多くの日系人家族は彼らの家、土地と財産、そのすべてを失っていました。
元住んでいた場所に戻る事が出来なくなった彼らの多くは、他の場所に移り住む他ありませんでした。
しかしそこでも日系アメリカ人に向けられるアメリカ市民の目は厳しいままだったのです。
フジクラさんはキャンプから出た後にオレゴン大学に合格しましたが、大学から
『彼女自身の責任において入学を辞退した方が賢明かも知れない』
と警告する手紙を受け取りました。

日系人03
強制収容キャンプでの生活は、何人かのひとびとにその後長く続いた後遺症をも残しました。
78歳のマリエル・ツカモトは、時々見回ってくる監視員の懐中電灯の明かり以外、夜間はキャンプ内が全くの闇であったことを記憶しています。
彼女は家族とともに約2年間収容所にいましたが、成人になった後も暗闇恐怖症に悩まされ、克服するまで長い時間を要しました。
彼女のいとこの一人はハイスクールのバスケットボールチームの花形プレーヤーでしたが、収容所での生活の後、最終学年に復帰しました。
しかし先生たちも生徒たちももはや彼をかつてのようには扱わず、受け入れてはくれたものの笑顔を向けて無視するだけだったと、ツカモトさんが語りました。

彼女はアメリカ合衆国が二度と決して同じ間違いをして欲しくないと語りました。

1952年に強制収容キャンプに収容されていた人々はアメリカ議会に対し働きかけを行い、日系移民の正規の国籍取得を認められることになりました。

そんな中、ツカモトさんを始めとする多くの人々は、より高い目標を掲げて戦っていました。
この戦いは1980年に召集されたアメリカ議会委員会が、大量の日系移民を強制収容キャンプ送りに処したことは、国家安全保障上必要だったわけではなく、「人種的偏見、戦時ヒステリーと政治的指導者の過誤」によるものだと結論を出したことにより、勝利しました。

日経アメリカ人
そして1988年にアメリカ議会が市民的自由法を可決し、強制収容キャンプ送りになった日系移民に一人当たり20,000ドルの補償を行う事を決定した時、彼らは最大の勝利を手にすることになりました。
アメリカ政府は捕虜収容所生存者に総額で約16億ドルを支払いました。
「議会のこの決定により、将来差別によりまた別の人々に悲劇が起きることを防ぐことになるだろう、私たちはそう考えています。」
ツカモトさんがこう語りました。

ヤスイさんの家族はアメリカの最高裁判所が日系アメリカ人の強制収容キャンプに送ることを命じた1944年の『コレマツV判決( Korematsu v. United States )』が、まだ正式には撤回されていない点に留意するよう指摘しました。
そして強制収容の体験を強いられた日系アメリカ人たちは、現在のシリア難民に対し、アメリカがまた同じような厳しい隔離政策等を行う事を非常に懸念しています。

Day06
「恐怖心理からヒステリックな反応をすることは、集団心理としてありがちなことです。」
ツカモトさんがこう語りました。
「しかしアメリカはもっとましな対応ができる国のはずです。」
「ここは移民たちが作り上げた国家なのですから。」

〈 完 〉

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この記事を読んで個人的に考えなければならないなと思ったのは、『自由主義陣営の闘士』フランクリン・D・ルーズベルトがなぜそこまで日本人を敵視したのかという事です。
歴史を紐解くと、旧満州国で日本人がソ連軍に大量に虐殺されたのも、北方領土問題も、国連の常任理事国問題もすべてルーズベルトに行きつきます。
当時の日本人が中国人に対してしたようにルーズベルトの中にもまた、日本人に対する差別感情を強く感じます。
憎しみが憎しみを生むように、差別は差別を生む、そんな気がしてなりません。

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【 北京市内の大気汚染、今年最悪の状態に 】

アメリカNBCニュース 11月30日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

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北京は11月30日月曜日、今年最悪の大気汚染を記録しました。
北京市内の中国中央テレビ(CCTV)ビルディングの前。(写真上)
市内の観測装置は汚染物質が非常に危険な濃度に達したことを報告、北京市当局はめったに出すことが無いオレンジ警報、4段階の危険レベルのうち、最悪から2番目の警報を出し注意をよびかけました。
北京02
北京03
北京04
北京05
北京06
http://www.nbcnews.com/news/world/beijing-smog-reaches-peak-levels-stifling-city-n471371

 

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