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【 中国の軍事的台頭、日米の『武力対決』姿勢を強めれば解決に向かうのか 】〈後篇〉

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所要時間 約 12分

様々な発言とは裏腹に、日本の軍事力強化路線をひた走る安倍首相
原子力ルネッサンスがダメになったの後の、日本の防衛力増強ルネッサンス
すべての国民が見守る中での公の議論が無いまま、本質的な変化が起きている、民主主義社会では稀有な事態

マーティン・ファクラー(東京)デイヴィッド・サンガー(ワシントン) / ニューヨークタイムズ 7月1日

日中紛争01
アジア地区において軍拡競争が始まってしまったというはっきりした兆候が見られるわけではない、こう語るのはマサチューセッツ工科大学の国際関係学部のリチャード・J・サミュエルス学部長です。
しかし、各国がこれまでとは違い、独自に自己防衛をどうするか真剣に検討しなければならない時代に入ったことを示す兆候はある、そうつけ加えました。
「これはアメリカの軍事能力がもはやかつてのようではないという認識が、これらの国々の間に浸透したことを表すものです。」
「アメリカと同盟関係にあった各国は、アメリカの影響力を留め置くための対策を取る一方で、互いの連携を深めようともしています。」

1980年代後半から1990年代の始めにかけて、日本は国連の平和維持活動に初めて参加しました。自衛隊は一切戦闘活動に参加しない、一見すればさほど危険が伴わない任務に就きましたが、日本国内では参加の是非について活発な議論が取り交わされました。
一方アメリカの軍当局は、北朝鮮との間で武力紛争が生じた場合日本国内にある軍事施設をどう利用するか、紛争規模別に検討する秘密協議を数年間日本側と続けていました。
この協議の場においても日本の政治家と官僚は、たとえ自国の領土に危険が及ぶ場合であっても、軍事面での協力についてはあまり積極的にならないよう、慎重な態度を崩そうとはしませんでした。

憲法解釈05
これに対し安倍氏を含むより強く国家主義的立場を取る政治家は、アメリカの恩恵はさほどのものではなく、日本が独自に防衛能力を高めていくべきであるとする議論を始めました。
そしてソニーの創業者である盛田昭夫氏と東京都知事を務めた石原慎太郎氏の共著『ノーと言える日本』の中では、日本は世界第2位のGDPにふさわしい規模の軍備を持つべきであるとの主張が展開されました。
今日、日本のGDPは中国に抜かれたため第3位に後退しました。

とある評論家がこうした考え方は、日本の地位が危ないという感覚の裏返しであると語りました。
日本経済が再び中国を抜いて世界第2位の地位を回復するという考え方はもはや現実的ではないと考えた彼らは、日本の向かうべき方向を変えようとしているのです。

安倍首相は今年、日本の軍事的能力をさらに一層強大なものにするための方法を探りました。
しかしそうした考え方は、連立与党の公明党だけではなく、自らが率いる自問党内からも抵抗の声があがりました。

憲法第9条の解釈の変更により、同盟国またはその軍隊に危険が生じたと判断される場合にのみ、自衛隊による武力行使が可能になります。ただしその際は、日本に対する「はっきりした脅威」が確認されなければなりません。

秘密保護法02
専門家と議会関係者は、内閣による閣議決定を政府の方針として実行するためには、議会において1ダース以上の関係する法律の改定を行わなければならないと語りました。
しかし安倍首相が率いる連立与党は衆参両院において過半数を制しており、このまま行けばこれらの法の改定はまずは問題なく両院を通過する見通しです。

安倍首相は1日火曜日にテレビを通じて演説を行い、自衛隊がアメリカが主導する戦場に投入されることは無く、日本が再び戦争当事国になる可能性は無いと主張し、反対意見の鎮静化を図ろうとしました。
その一方で安倍首相はアメリカとの同盟関係を強化し、日本国内に駐留する50,000人規模のアメリカ軍が、尖閣諸島を巡る中国との紛争が軍事的衝突に発展するような場合には直接戦闘に参加する可能性に言及しました。

「今回の解釈変更は、日本を再び戦争をする国にすることが目的ではありません。」
「日米同盟を一層強力なものにすることによって抑止力を高め、日本とアジア地区における平和に貢献することが目的です。」

一方、ワシントンではアメリカ政府の高官が次のように語りました。
「総合的な国家の防衛政策において、日本はやっと水準的な軍事行動が可能になったという事です。」
「それはつまりこれまで課されてきた制約により、日本の軍隊は軍隊として機能できない状態あったという事を認めたという事です。」
イラク戦争では、自衛隊は交戦の危険性がある同盟各国の首尾地域に行くことは禁じられていました。

日中紛争 2
安倍首相が憲法第9条の解釈の変更を発表する直前、6月末来日したフィリピン大統領が軍事的圧力を強める中国に対し、日本の対抗能力が強化されることへの支持を表明した一方で、中国と韓国は日本の軍備強化はかつての軍国主義日本の悪しき記憶をよみがえらせるものだと批判しました。
中国国営の新華社通信はその論説で、安倍首相が「戦争の悲惨さを弄んでいる」と警告しました。

安倍首相はアメリカとの同盟関係に焦点を当てた発言を繰り返していますが、軍事の専門家は憲法第9条の解釈の変更は同じように中国との領土領海紛争を抱える国々とのあいだに、新たに軍事同盟を締結することを可能にするものだと語りました。

「日本は、今防衛力増強ルネッサンスを経験しているのです。」

こう語るのはミッドランド州チェスタータウンにあるワシントン・カレッジの国際政治学部のアンドリュー・オロス学部長です。

「著しく特徴的なのは事態の変化していることではなく、すべての国民が見守る中での公の議論が無いまま、本質的な変化が起きているという事です。」


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最近、日本政府関係者とその広報宣伝係りとも言うべきNHKやY新聞、NテレビやFテレビなどが一切言わなくなったのが、『中国との戦略的互恵関係の構築』という言葉です。
憲法第9条の解釈の変更などには、邪魔でしかない概念だからでしょうか?

過去に書いたことがあるかもしれませんが、工場生産設備を大量に中国に移動させ、無数の技術と多量の富を中国に持ち込んだ張本人こそ日本であったはずです。
その技術と金を使って中国が日本を仮想敵国とした大軍備拡張を成し遂げたことなど、世界史に残る愚劣な展開ではないでしょうか?

上記のメディアなどは中国側に一方的に非があるような報道を繰り返していますが、外交や歴史がそんな単純なものであるはずがないのです。
今の日本に本当に必要なのは武力ではなく、真実を見通す智力であるはずです。

13日(日)は掲載をお休みいたします。

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【 戦争経験者の記憶 】〈2〉
幸せに暮らしていた人間たちが、次々に殺されていった、それが戦場だった…

ニューヨーカー 6月5日※記事本文は再掲
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

WW2-3
2010年、初めての個展を開催するためにロシアを訪れていたカメラマンのサーシャ・マスロフは、後に連作となる『戦争経験者』の最初の一枚になる写真を撮影しました。
ソビエト赤軍の航空整備士ピョートル・ドミトリヴィッチ・コシュキンの肖像写真でした。
こうして彼の4年越しの連作がスタートしました。
彼はこの間、写真撮影とインタビューを繰り返しました。
題材になったのは兵士だけではなく、医師、技術者、パルチザン、地下抵抗運動の参加者、そして捕虜。
そしてホロコーストの生存者と一般市民は、戦争のはざまで最も苦しんだ人々でした。

マスロフは私にこう語りました。
「人々はそれぞれの場において、戦争という衝撃的な出来事を、自分自身の膚で感じたのです。」

マスロフはウクライナ出身の30歳のカメラマンで、5年前ニューヨークに移り住みました。
『戦争経験者』という大作に取り組むことになった理由について彼は、生と死のぎりぎりの境を体験した世代の記録をしっかりと残したいという思いがあったと語りました。
そして彼は国籍の違いによって、『戦争』の体験が著しく異なることも記録に留めようとしています。
「この連作の中で、最も興味深かったのは地理的要因による運命の違いでした。」
どの国の出身であるかによって、人々を視覚的にはっきりと分けてしまう事が可能です。
私が撮影したすべての人が第二次世界大戦という、かつてない規模の巨大な事件の当事者でした。宇宙で起きたビッグバンのように、彼らは世界中至る所でこの巨大な事件の渦中に巻き込まれたのです。居間、寝室、そして台所でさえ、戦争と無関係ではありませんでした。

マスロフはこれまで18カ国を旅しており、写真集を完成・出版する前にさらにインド、オーストラリア、南アフリカ、そしてギリシャを周る予定です。

『戦争経験者』の写真を撮影していて、何が一番印象に残ったかマスロフに質問してみました。
「ある人々は驚くべき寛容さを示しました。そして別の人々の中には尽きることのない憎しみが消えることなく残っています。その対比の極端なことには驚かざるを得ません。」

▽ ウルスラ・ホフマン(ポズナニ、ポーランド)
「特徴的だったのは、私たちポズナニのレジスタンス組織がその本部を宮殿の通りを隔てた向かい側のビルに移転させたことです。当時そこには、ドイツ帝国のポズナニ総督のアルトゥール・カルル・グライゼルのオフィスがありました。
グライゼルが居たのは建物の2階、そして私たちレジスタンスは1階にいました。
色々な意味で勇敢さが必要な時代だったのです。

▽ フロレッティ・アコスチーヌ(ウディネ、イタリア)
「我々は国境付近で一人のギリシャ兵士を逮捕しました。
彼は部隊のたった一人の生存者だったようです。私は8人の仲間とともにこの捕虜を連行していくように命令されました。
私は彼が逃げ出そうとしていると直感し、逃げられないように彼の肩に手りゅう弾を結び付け、脅しました。いつでも爆発させられるように、私は手りゅう弾のピンを握ったまま彼の後ろから歩いて行きました。
その時歩いていた場所は岩だらけの滑りやすい場所で、わたしか彼がつまづいた拍子に手りゅう弾のピンが抜けてしまったのです。
これ以上の話はしたくありません、あまりにむごたらしいありさまでしたから。
とにかく、捕虜は私たちの前から消滅してしまったのです。」(写真下)
WW2-4
http://www.newyorker.com/online/blogs/photobooth/2014/06/faces-of-the-second-world-war.html#slide_ss_0=1

 

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