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【 中国の軍事的台頭、日米の『武力対決』姿勢を強めれば解決に向かうのか 】〈前篇〉

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所要時間 約 13分

世界有数の規模と戦闘能力を持つ自衛隊、いよいよ実戦に参加する『機会』が現実に
中国との対話に基づく、協議交渉による理性的な解決の機会は一層遠のく
日本の防衛はどうあるべきか、その議論を力で一方的に圧伏した安倍政権

マーティン・ファクラー、デイヴィッド・サンガー / ニューヨークタイムズ 7月1日

SDF01
7月1日、安倍首相が憲法第9条の解釈を変更することを発表しました。
そしてこの60年間で初めて、緊張が高まる東アジア地区において日本が決定的な役割を演じることが出来るよう、その軍事力の行使に関する制限を取り払う行動に出たのです。
安倍内閣による今回の決定は、様々な制約のもとで国防にあたっていた10年前なら考えられなかったほどの日本の軍事力の自由な行使を可能にします。
現在の日本の軍事力は世界有数の規模を持ち、最新の兵器を揃えた強力なものです。
今回の解釈の変更により、アメリカ合衆国を含む同盟国の軍隊が敵の攻撃に遭遇した際には、この強力な日本の軍隊が救援に駆けつけることが可能になります。

日本の立場は中国がその存在感を強め、軍事的にも著しい台頭をとげる中、これまで同様東アジア地区の安定と均衡を保つことです。
しかし中国は同国にとって戦略的に重要な海域である東シナ海、南シナ海におけるアメリカと日本を含むその同盟国による実効的管理機構に挑戦する姿勢を露わにし、様々な要求や行動を活発化させています。

中国は第二次世界大戦時の日本の中国大陸への侵略を忘れたことはありません
今回の安倍首相によるタカ派的行動が、中国を刺激しその態度を硬化させるであろうことは確実であり、アジア滞在の力を持つ両国の緊張が一層高まることは避けられないでしょう。

「強まり続ける中国からの圧力が、日本国内の政治的議論の方向性を変えたのです。」
明治学院大学の政治学が専門の川上和久教授がこう語りました。

安倍02
安倍内閣による閣議決定はこの秋にも政策として実行されるものと見られていますが、その決定は衆目の一致するところ韓国をその伝統的な同盟国であるアメリカ合衆国から引きはがそうと図る中国が、首脳をソウルに送り込もうとするタイミングで公表されました。

日本の平和主義は、アジアの広大な地域を征服し、十数年の間終わることなく泥沼の戦争を続けた戦前の日本の軍国主義を二度と復活させてはならないという考え方です。
これに対し、日本の敗戦からは数十年が過ぎた今、その周辺には新たな脅威が生じており、これまでの防衛態勢のままでは国を守ることはできないとの考え方も生まれました。
その論争は四半世紀の間続けられてきましたが、今回の政府の決定はその論争に決着をつけようとするものです。

戦争を否定する日本の平和憲法は、多くの日本人にとって国家の柱石を成すものであり、安倍政権による再解釈は、日本ではあまり見られない路上の抗議行動に多くの人々が参加する結果を生みました。
6月末の日曜日には政権による憲法第9条の解釈の変更に抗議するため、たった一人で焼身自殺を図る人も現れました。

しかし、少なくともこれまでは、尖閣諸島に対する中国艦船や航空機による領海侵犯などが繰り返し行われる中でも、集団的自衛権の行使についての厳しい制限が緩和されることはありませんでした。

自衛隊
自衛隊の名称を有する日本の軍隊には、今回の憲法の解釈変更の後もその行動には厳しい制約が課されることになりますが、それでもアメリカの艦船が攻撃を受けた際に掩護したり、アメリカの領土に向け発射された北朝鮮のミサイルの撃墜が認められるのは初めての事です。

オバマ政権は1日、今回の日本政府の閣議決定を「同盟関係の枠内における軍事行動をより強力なものにすることが出来る」として歓迎する意思を明らかにしました。
しかし安倍政権の動きはオバマ政権に、同時に難問を背負い込ませることにもなりました。

オバマ政権は、日本政府と韓国政府との関係修復に腐心してきましたが、関係修復が実現するためには日本国内の国家主義者や国粋主義者にとってはおもしろくない事実を受け入れる必要がありました。
また、日本の中国との間の緊張関係がこれ以上悪化しないように努めても来ましたが、今や解決の糸口は遠のくばかりです。

日本の政治指導者たちは世界の安全保障体制の中で、長年、日本を従属的位置から脱却させようとしてきました。
イラク戦争、アフガニスタン戦争では西側諸国の軍事行動に協力、貨物輸送と他国の海軍の艦船に対する燃料補給を行い、武器を携行し防衛と攻撃の間にある一線を曖昧にしてきました。
安倍首相は中国の軍事的台頭に対する懸念を同じくする近隣の国々に、軍事面での援助を進める政策を採ってきました。

しかし安倍首相が行った憲法第9条の解釈の変更を行い、国際紛争を解決する初段として戦争の放棄を日本の方針から除外してしまった行為は、これまでの行き方とは本質的に異なるものです。

第二次世界大戦03
長年保守派の代表のひとりとして君臨してきた安倍首相は、第二次世界大戦時の侵略行動と非人道的行為への反省から、戦争につながる行動を抑制してきたことについて、日本はもはや国力相当の武力を装備する『普通の国』になるべきであると主張し、日本国憲法の全面的な書き換えに対する支持を得ようとしたことがあります。
しかしそうした主張に一般国民の支持は得られず、7年前安倍首相が最初の総理大臣の席を失う原因の一つとなりました。

その当時と異なるのは、中国の軍事的台頭だけではなく、アメリカの存在感が低下した事により、東アジア地区においては各国が独自に軍事力を高めようと動いている状況にあるという事です。

〈後篇に続く〉


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軍拡競争こそは、愚者の争いの最たるものだと思います。
まして世界で2番目と3番目のGDPを持つ国同士がそれをやれば、互いに莫大な額の国費を武器の購入・製造に充てなければならなくなってしまいます。
当然市民生活はあらゆる面で圧迫を受けることにもなります。
さらに日本の場合は国庫の赤字が破たん状態に近い訳ですから、国家経済のカタストロフィが発生する危険性すらあるはずです。
一方の中国にもかつてのソ連を見舞ったような連邦の崩壊の危険性がありますが、決定的に違うはその経済力がかつてのソ連とは比較にならない程強力である点、そして13億以上の人口を持っている点です。

かつてソ連と中国が緊張関係にあった時代、軍事力はソ連の方が比較にならない程卓越していましたが、巨大な人口を抱える中国には決して勝てないと言われていました。

今同じことが日本にも言えると思います。
高齢化が続き、掲載規模でも追い越されてしまった今、正面から軍拡競争を挑めば疲弊・崩壊するのは日本経済の方ではないでしょうか?

それでも中国には『勝たねばならない』というのであれば、軍備競争以外の方法を考える、簡単ではありませんがそれが政治の役割なのではないでしょうか?
それを最も愚劣な軍拡競争の途を選ぶというのでは、そんなものは政治でもなんでもない、そうではありませんか?

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【 戦争経験者の記憶 】〈1〉
幸せに暮らしていた人間たちが、次々に殺されていった、それが戦場だった…

ニューヨーカー 6月5日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

WW2-1
2010年、初めての個展を開催するためにロシアを訪れていたカメラマンのサーシャ・マスロフは、後に連作となる『戦争経験者』の最初の一枚になる写真を撮影しました。
ソビエト赤軍の航空整備士ピョートル・ドミトリヴィッチ・コシュキンの肖像写真でした。
こうして彼の4年越しの連作がスタートしました。
彼はこの間、写真撮影とインタビューを繰り返しました。
題材になったのは兵士だけではなく、医師、技術者、パルチザン、地下抵抗運動の参加者、そして捕虜。
そしてホロコーストの生存者と一般市民は、戦争のはざまで最も苦しんだ人々でした。

マスロフは私にこう語りました。
「人々はそれぞれの場において、戦争という衝撃的な出来事を、自分自身の膚で感じたのです。」

マスロフはウクライナ出身の30歳のカメラマンで、5年前ニューヨークに移り住みました。
『戦争経験者』という大作に取り組むことになった理由について彼は、生と死のぎりぎりの境を体験した世代の記録をしっかりと残したいという思いがあったと語りました。
そして彼は国籍の違いによって、『戦争』の体験が著しく異なることも記録に留めようとしています。
「この連作の中で、最も興味深かったのは地理的要因による運命の違いでした。」
どの国の出身であるかによって、人々を視覚的にはっきりと分けてしまう事が可能です。
私が撮影したすべての人が第二次世界大戦という、かつてない規模の巨大な事件の当事者でした。宇宙で起きたビッグバンのように、彼らは世界中至る所でこの巨大な事件の渦中に巻き込まれたのです。居間、寝室、そして台所でさえ、戦争と無関係ではありませんでした。

マスロフはこれまで18カ国を旅しており、写真集を完成・出版する前にさらにインド、オーストラリア、南アフリカ、そしてギリシャを周る予定です。

『戦争経験者』の写真を撮影していて、何が一番印象に残ったかマスロフに質問してみました。
「ある人々は大きな寛容を示しました。そして別の人々の中には尽きることのない憎しみが消えることなく残っています。その対比の極端なことには驚かざるを得ません。」

▽ ルイージ・ベルトリーニ(ウーディネ県ウディネ、イタリア)
「戦争中実質的にドイツに占領されていたイタリアのある村で、私は仕事を見つけました。
2人のドイツ人が経営する修理工場の整備士です。ドイツ人は一人はエンジンの専門家で、もう一人はいわゆる鍛冶屋でした。私と3人のイタリア人が雇われていましたが、ドイツ人は二人とも私にとても親切にしてくれ、熱心に技術を教えてくれました。
私はドイツ軍兵士がトラックや戦車を修理するのを手伝っていました。航空機の修理にも取り組んだことがあります。
その経験が戦後の私の人生設計の基本になりました。
私は今でも2人のドイツ人には感謝しています。
政治的なことはどうでもよかったのです、いい仕事が出来ればそれで満足でした。
当時イタリアは実質的にドイツの支配下にあり、耐えなければならないことがたくさんありました。しかし相手がどこの国の出身であっても、目の前にいた人間とまで争う必要は無い、多くの人がそう考えていたのです。」(写真上)

▽ ドミトロ・ベルホリャーク(イヴァノフランキフシク、ウクライナ)
私たちは森の中でソ連の秘密警察のNKVD(内務人民委員部)に逮捕されそうになりました。
私たちは5人で行動していましたが、NKVDが発砲してきて、私は左足に銃弾を受けました。NKVDに連行されるぐらいなら手りゅう弾で自分を吹き飛ばそうと思いましたが、まだ歩けることに気がついたのです。そこで私は発砲して来る方に手りゅう弾を投げ込み、仲間とともに走って逃げました。
NKVDは一層激しくめくらめっぽう撃って来ましたが、幸い誰にも弾は当たりませんでした。
そしてどうにかこうにか逃げ失せることが出来のです。(写真下)
WW2-2
http://www.newyorker.com/online/blogs/photobooth/2014/06/faces-of-the-second-world-war.html#slide_ss_0=1

 

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