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【 すべての真実を公表しない限り、福島の解決はありえない 】

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所要時間 約 13分

[ 福島にはまだ望みはある – チェルノブイリ専門家 ]

アメリカCBSニュース 2月2日

ウクライナのチェルノブイリ問題の専門家が、福島第一原発周辺住民の帰還は必ずしも絶望的ではない、と語りました。この点は事故後四半世紀が経って尚、帰還の見通しも立たないチェルノブイリとは異なっている、と語りました。


〈25年が過ぎてもゴーストタウンのままのチェルノブイリの被害地区プリビャチ〉

3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が3基の原子炉でメルトダウンを引き起こした福島第一原発ですが、キエフの国立戦略研究研究所の核物理学者オレグ・ナスヴィット博士は最終的には周辺住民の帰還が実現できる可能性がある、とAP通信とのインタビューの中で語りました。

ウクライナの政府高官であるナスヴィット博士とドミトロ・ボブロ氏はそろって、1986年のチェルノブイリ事故の最も大切な教訓は、政府がすべての事実を明らかにすることである、と語りました。
本当の状況さえわかれば、それに基づき住民は自分たちの将来について誤りの少ない選択ができるようになります。

「住民が事故が引き起こした事実をすべて理解し、その上で現実的な決断を行うためには、正確な情報提供がどうしても必要なのです。」
日本政府主催の福島の危機に関するセミナーに出席するため、日本を訪問したボブロ氏はこのように語りました。


日本の政府機関と東京電力は事故の全貌が明らかになるまで、あらゆる情報をその手の中に隠し続けていたことについて、繰り返し批判を浴びています。

双方とも当初原子炉内でのメルトダウンの発生を否定し続け、放射線が健康に及ぼす影響を過少に伝え続けてきたことを、ずっと非難されてきました。
今回の原子力危機について調査行っている外部委員会は、政府が国民に対してもっと透明性の高い情報提供を要求しました。

2011年12月に『冷温停止状態達成』の宣言を行った後、3度にわたるCAT-スキャンを行った結果に基づき、日本政府は空間線量が20ミリシーベルト以下の汚染地域についいて、帰還が可能であるとのガイドラインを提示しました。
政府はこの場所はもう安全だとしていますが、さらなる低線量化が必要であることは明らかです。

福島では
10万人以上の人々が、20キロ圏内の立ち入り禁止区域からの避難を余儀なくされました。


ナスヴィット博士は、住民の帰還は福島第一原発からの距離ではなく、帰還した住民の累積被ばく線量が数値的にどうなるか、きちんと積算した上でなされるべきである、と指摘しました。
「年間被ばく線量が20ミリシーベルト以下に保たれるのであれば、国際基準に照らして帰還を望む人々に許可を与えることは可能です。しかし、帰還は20キロ圏内などという尺度で行ってはなりません。個別に放射線量を測定した上で、初めて帰還を許可すべきです。場所ごとの放射線量がすべて明らかになった上で無ければ、人々の帰還を許可すべきではないのです。」
そしてその上で、もっと科学的で徹底的な除染の取り組みが必要である、とナスヴィット博士が語りました。

2月初旬、福島第一原発周辺に設定されている避難区域にある川内村の村長が、現在行われている除染作業によって、もはや村内への帰還を行っても安全である、と宣言しました。
遠藤村長は役場、学校などの公共施設が2012年4月に再開される、と語りました。

川内村の約3分の1は避難域内に位置し、立ち入り禁止のままです。
そして避難区域外の住民も、自ら村を去る選択を行いました。
こうした住民は今回の呼びかけに複雑な思いで接しました。故郷に帰りたいと思う半面、 放射線の健康被害、特に子供たち対する悪影響を懸念しているのです。


〈ゴーストタウンと化した福島第一原発の被害地区、富岡町〉

1986年4月26日に発生したチェルノブイリ事故は、ほとんどヨーロッパ全土に放射性物質による死の灰をまき散らし、中でもウクライナ、ベラルーシ、ロシア西部で暮らす数十万の人々に深刻な被ばくをさせました。
その時汚染された森林や農地はいまだに汚染されたままになっており、この事実は今日本人に対し、福島第一原子力発電所事故による汚染も、これから長い期間その被害が続くことを警告しています。


当時のソ連の指導者は事故後数日間周辺住民に対する避難させず、健康被害に関する警告も行わなかったため、これら周辺地域で暮らす人々の間に大きな不信感を与えることになりました。

チェルノブイリの事故は最終的に、アメ リカが広島に投下した原子爆弾の約400倍以上の放射線を放出しました。
国連の世界保健機関(WHO) はこの事故の影響を受けたとみられる600,000人の中、平均死亡者数を約4,000人を上回る人々が、この事故が原因となったガンによって死亡したものと見ています。



日本政府は福島第一原発を廃炉にするまで約40年以上の年月を必要とする、と言っています。
しかし土壌から汚染を取り除かれ、水や空気、そして食品の中から放射線の影響が消える までの年月は、現時点では全く分からないのです。
そのためには長い、長い道のりをこなしていかなければなりません。

東京電力と政府はこの問題に対し、迅速な取り組みが要求されます。


そして人々の感情をなだめるのではなく、科学的に適切な措置を採らなければならないのです。

http://www.cbsnews.com/8301-505245_162-57370493/chernobyl-experts-hopeful-on-fukushima/?tag=mncol;lst;2
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また残念な出来事がありました。
御前崎市長選挙で再び『脱原発』の民意が証明されなかったことです。
毎日新聞の報道の中に
「原発に頼って生きている人の生活を考えてほしい。」という50代の男性のインタビューが掲載されていましたが、こうした意見が当然のことのように出てくる背景にはやはり、福島の真実が十分に日本国民の間に伝わっていない、という事を感じます。

生活が苦しい、とはどういうことなのでしょうか?
ここ被災地(宮城県)は福島第一原発が吹き上げた放射性物質があちこちに飛び散ってしまいました。
福島県を還流して宮城県南部で太平洋に注ぎ込む阿武隈川では日々汚染濃度が増している、と漁業関係者に直接聞きました。
そして日本有数の米どころの大崎平野の農民の方々は、何を育てても収穫してもびくびくしています。
被災地の真ん真ん中にいる感想としては、生活環境の中に日々放射能汚染の脅威が潜んでいる生活は苦しい以上のものがあります。
この上『欠陥型原子炉』と言われるGE MarkⅠ型原子炉と、そのマイナーチェンジ型原子炉がずらりと並んだ女川原発が再稼働などしてしまったら、大げさでなく南東北は終わりだと思っています。
そして北東北・青森県の六ヶ所村の核廃棄物施設が、福島第一原発と同じ災害に見舞われたら半径100kmに暮らす人々は即死する、とある本に書いてありました。

【星の金貨】でも、福島第一原発の事故により周辺住民の方々がどれ程の苦しみの中に突き落とされてしまったか、くりかえし各国の記事をご紹介してきました。

原子力発電所がいったん事故を起こせば、人々の生活はおろか無数の人生そのものを破壊してしまうことを、

英国BBC放送、ガーディアン(英国)、ル・モンド・ディプロマティーク(フランス)、ドイチェ・べレ(ドイツ国際放送)、デア・シュピーゲル(ドイツ)、アルジャジーラ(アラブ首長国連邦)、そしてアメリカCNNテレビ、CBS放送、NBC放送、ABC放送など世界中のメディアが繰り返し報道してきました。

それを当の日本人が、それほど深くは理解していないように思います。
政府や大手メディアの隠蔽が功を奏してしまっているようです。

こうなれば私たち自身がもっと冷静に、理路整然と、しかしできるだけ多くの場で正しい情報発信をしていきましょう。

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【 タイタニック、生存者たちのそれぞれの思い 】

アメリカNBCニュース 4月13日

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4月15日日曜日はあのタイタニックが沈没してからちょうど100年目に当たります。
事故の生存者とその子孫にとってはあの日を振り返り、その一日が意味するところを深く考える時間かもしれません。
今夜はあの日の出来事によって、生まれたときから数奇な運命により結ばれた一組のアメリカ人カップルについてお伝えします。

キャサリンとボブ・マクガイアはランニングなど数多くの共通の情熱を持っていますが、この数年間の結婚生活を始める前から同じ情熱を共有していたのです。

「私たちは二人とも、祖先がタイタニック号の乗客だったのです。」
ボブの祖父であるジャック・フェールは当時17歳、ヨーロッパでの休暇を過ごした後、タイタニック号の一等先客としてアメリカへの帰路についていました。

そして当時60歳だったキャサリンの曾祖母エマ・バックネルも一等先客として乗船していましたが、彼女はもう何十回も大西洋上を行き来した経験を持っていました。

2人は凍りつく水面上に見せている姿に対し、実際にはその3倍の大きさの氷山に衝突し、1,500もの人々が犠牲となったタイタニック号の悲惨な事故の生存者でした。

ポルトガルを出港したそもそもの始まりから、彼らは共通の運命を持っていました。
ジャックは、タイタニックが沈没するわずか数分前に、デッキから飛び降りていました。

「飛び込んだ後、私の体はめちゃくちゃに回転しながら、どんどん沈んでいきました。それでも私は船からできるだけ遠くに離れようと、必死に泳ぎ続けました。」
しばらくして彼は何とか水面上に頭を出し、そこにあった転覆した救命ボートにしがみついて、その夜を過ごしました。
一方その時ミセス・バックネルは、別の第8番の救命ボートの上にいました。

「その救命ボートに乗り合わせた人々は暗闇の中、何とか生き延びようと努力を続けました。夜は永遠に続くように長く感じました。」
彼女のその夜は1958年に映画化 された「忘れえぬ一夜」のシーンそのものでした。

幸い二人とも無事生還を果たしましたが、多くのタイタニック号の生存者は事故の後同じような試練を抱えて生きることになりました。
バックネル夫人はその後、二度と大西洋を横断しようとはしませんでした。

ジャックの方は第一次世界大戦に従軍の後銀行家として成功しましたが、自分だけが生き残ったという罪悪感にとらわれ続け、わずか50歳でこの世を去りました。

多くの人命が失われたくさんの悲劇が生まれましたが、ケイトとボブはこの巨大な悲劇が無ければ生まれなかっただろう、数々の人々の物語に着目することの大切さの方を感じています。

現実の世界において、それは彼らの3人の子供たちに象徴されています。

ルーシーとジャックは、二人とも音楽にかぐれた才能を発揮、そして長男ボビーはプロのピアニストです。
キャサリンとボブは再び自分たちの祖先の話を進んで話そうとはしませんが、彼らは祖先が長い間引きずってきた影を海に対して感じながら、祖先を愛する気持ちを抱き続けています。

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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