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【 あの時、福島第一原発で本当に起きていたこと… 】[ニューヨークタイムズ]

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所要時間 約 8分

福島第一原発の事故の真実を隠ぺいしたまま、原子炉の再稼働を推進する安倍政権
全職員の10分の1以下の68名ではなく、720名全員で事故収束作業に取り組むつもりだった吉田所長
吉田所長が大半の職員の『施設外避難』を把握した時点で、すべては手遅れになっていた

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 5月20日

廃墟の現場
3年前、福島第一原子力発電所の事故が最も深刻な事態に陥っていたそのタイミングで、東京電力の職員は持ち場に残り何とか原子炉の制御が可能になるよう努力を続けるよう命じられましたが、パニックに陥ってしまった多数の職員が持ち場を捨てて避難してしまったことが明らかになりました。
日本を代表する新聞社が5月20日、この事実を明らかにしました。

朝日新聞はこの出来事について、2011年3月福島第一原発の事故発生以降、日本政府の調査チームによって行われた一連の聞き取り調査により、当時所長を務めていた吉田正夫氏の記述によるものであるとしています。

朝日新聞社は400ページに上る聴き取り調査の筆記録のコピーを手に入れたことを明らかにしましたが、この記録はこれまで政府内の報告書に一部が記載されることはあっても、一般にすべてが公開されることはありませんでした。

現在このコピーは当時所長を務めていた吉田氏であればこそ残すことが出来た、事故の事実を伝える唯一の証拠です。
その吉田氏はガンが原因で、昨年58歳で亡くなりました。

吉田所長は原子炉が過熱して破滅的事態が眼前にあった当時、原子炉が再び使えなくなることを恐れた東京電力の本社の制止命令を振り切り、独断で原子炉に海水を注ぎ込み、事故のそれ以上の拡大を防いだ数少ない本当のヒーローとして広く知られていました。

FR24 破壊された福島第一原発
3月11日に巨大地震と津波が重要な冷却装置を完全に使えなくしてしまってから4日後の15日、福島第一原発はまさに壊滅間際の様相を呈し、職員全体が恐慌状態に陥っていた事実をこの報告書は伝えています。
調査に対し吉田所長は、結局中間管理職を含む650人の職員が福島第二原発に避難してしまったことを明らかにしました。
原子炉建屋が爆発した原子炉ではまさに炉心のメルトダウンが始まろうとしていた段階で、現場に残されたのは吉田所長と68名の職員だけであったのです。
この原子炉は福島第一原発の事故において、最終的にメルトダウンを起こしたことが確認された3基の原子炉のうちの1基でした。

この記述がもし本当であれば、東京電力はこの日、必要最低限の人員を除き職員の大部分を『あらかじめ』あるいは『計画的に』避難させる措置を採り、残された強い使命感を持った職員が命を危険にさらしながら事態が最悪の局面に陥るのを防いだという、事故対応の全体像が違ってくることになります。

そして北日本の広域を放射性物質で汚染してしまった福島第一原子力発電所の事故について、発生後3年が過ぎた現在ですらなお、日本政府と東京電力は事故の全容を明らかにしていないことが明らかとなった事で、新たな批判が寄せられることになるでしょう。
朝日新聞は記事中で、福島第一原発の事故後停止していた国内の原子力発電所の再稼働を推進しようとしている一方、福島第一原発の事故の記録全てを公開しようとはしていない日本政府を非難しました。

定例記者会見の席上、日本政府のスポークスマンを務める菅義偉官房長官は、朝日新聞の記事の正確さに疑問を呈することはしませんでした。
菅官房長官は吉田所長を始め事故現場に居合わせた人々に行ったインタビューの筆記録は、公的に記録を残すために行ったのではないため公開しなかったと語りましたが、なぜそのような対応を採ったのかについては説明しませんでした。

白煙を上げる現場
東京電力の広報担当の清水氏は、朝日新聞の記事にはある重要な側面に関する記述が欠落していると語りました。
すなわち、吉田所長は職員に対し漠然とした表現で「放射線量の低い」場所まで下がるように指示を出しており、その場所には10キロ離れた福島第2原子力発電所も含まれると語りました。
清水氏は東京電力はこのような理由から、当時の職員の行動について規律違反とは考えていないと付け加えました。

朝日新聞側はこの記録は、2011年7月から11月にかけて調査委員会が行った29時間以上にわたるインタビューに基づき、吉田所長の発言を一語一語の性格に記録したものであると伝えました。
この筆記録はその大分部分が未だに公開されていない他の771人の聞き取り調査記録とともに、首相のオフィス内に保管されていると朝日新聞は伝えています。

この筆記録の中で吉田所長は3月15日早朝に起きた爆発について、当初2号機の原子炉格納容器が破裂してしまったのではないかと、その事を何よりも恐れたと語っています。
もしそうなっていれば、莫大な量の放射性物質が環境中に放出されていたはずでした。
しかし発電所内に設置されていた放射線量の測定装置では計測値の著しい上昇は無く、その事によって格納容器が無事であることを確信できたと語っています。
しかし午前6時42分、吉田所長は放射線量の測定値について確信が持てるようになるまで、発電所内で最も放射線量の低い場所で待機するよう職員に対し指示を出しました。
吉田所長は聴き取り調査の中で、事故収束のための作業に出来るだけ早く着手できるように、720人の職員をできるだけ手元に置いておきたかったと語っています。

CNN05
「指示があればすぐ持ち場に戻れるよう、職員は福島第一原発の敷地内に留まってください。」
吉田所長は発電所内の会議システムの装置を使い、職員にこう呼びかけたことを憶えていました。

しかし職員がとった行動はその指示とは異なるものでした。
記録によれば、ある者は東京電力のバスを挑発し、ある者は自家用車に乗り、多くの職員が福島第2原子力発電所に避難してしまったのでした。
吉田所長によれば、一部の人間は午後になって福島第一原発の敷地内に戻ったものの、一時は職員の90%が敷地外に避難してしまったのです。

朝日新聞は吉田所長が調査に答えて、管理職ですらあまりに多くの人間が避難してしまったことに驚き、福島第2原発に連絡を取ってそこにいた職員に対し直ちに持ち場に戻るように命じました。

「事実として、私は第2原発まで避難するように指示はしていません。」
吉田所長の発言はこのように記録されています。

「職員の大半が第2原発まで避難したことを私が告げられた時点で、すべてはもう手遅れになってしまっていました。」

 

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