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【 間が悪すぎるタイミング!問題になる日本のアパルトヘイト(人種隔離政策)構想?】

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所要時間 約 8分

海外からの人材移入が求められる中、やって来た彼らの住む場所は『隔離されるべきである』?
チーム・アベの新たな提案、日本国内での人種隔離政策の実施を構想?

エコノミスト 2月20日

海外からの労働者
日本の日刊紙である産経新聞の論調は『反自由主義』的であるというのが専らの評判です。
2月中旬、今度はその紙面に南アフリカ共和国の『アパルトヘイト(人種隔離政策)』を持ち上げるような?コラムを掲載し、その評判を一層のものにしました。
「外国人を理解するために居住を共にするという事は至難の業だ。」
というのが曽野氏の主張です。
曽野氏のコラムは日本の安倍政権が事実上の移民が促進されるよう、出入国管理の態勢を改めようとする動きに合わせたものです。

曽野氏の発言は南アフリカで大きな反発を呼び、南アフリカの駐日大使は『恥ずべき発言』であると批判しました。
しかし奇妙ことに、日本国内ではその批判は不自然に小さなものにされています。
日本の主要メディアは、この問題に対する南アフリカ大使がサンケイ新聞に送った抗議文を取り上げようともしません。

コラムを掲載したサンケイ新聞は当初困惑の体を示しましたが、後に様々な意見を述べることができる表現の自由を論拠とする形式的なコメントを行っただけでした。

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日本政府は現在、人口減少と労働力不足問題の解決手段の一つとして、年間200,000人の外国人労働者の受け入れを検討しています。
日本の人口は2013年には約25万減少しました。
安倍首相の諮問機関は、現在1億2,700万人の日本の人口について、移民の受け入れにより1億人前後になった時点でそれ以上の減少を食い止めることができるとしています。
約2千年前に現在の日本人の祖先の一部が朝鮮半島を経て現在の日本列島に移り住んで以来、これ程の規模の外国人の流入は例がありません。

そのほとんどが同一人種で占められる日本においては、諸外国の出身者はの2%でしかありません。
その中には1910年~45年日本の統治下に置かれていた朝鮮半島の出身者が数多く含まれ、彼らは数世代に渡り日本で生活しています。

曽野氏は決して2流の人物などではありません。
ベストセラー作家のひとりであり、保守陣営の活動家であり、最近では第2次安倍内閣の私的諮問機関である教育再生実行会議のメンバーでした。
中学校の教科書には道徳的人間として、マザーテレサと並んで紹介されています。

それ程に持ち上げられている曽野氏ですが、今回示した見解は一般からの支持をほとんど得ることは無く、むしろ世論の行方に逆らっているようにも見えます。
NHKによる調査は、さらに多くの外国人労働者の受け入れに対する支持が増えていることを明らかにしました。

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数年間に渡る曽野氏の事績を調査したオーランド大学(ニュージーランド)のマーク・マリンズ教授は、彼女を『チーム・アベの問題児』と呼んでいます。

安倍政権は産経新聞によるこの騒動には関わろうとはせず、単に曽野氏がこのコラムを執筆する以前に教育再生実行会議のメンバーから外れていたことを指摘しただけでした。

いずれにせよ、曽野氏は日本の年金生活者を介護するための、報酬の安い労働者について言及したものでした。
こうした就労内容を特定した海外からの労働者は『訓練生』という名目で、多くはインドネシアとフィリピンから長い間受け入れを続けてきました。
安倍首相が望むのは、こうした特定業種に必要なスキルを身に着けた海外労働者に限って受け入れることです。

産経新聞による騒動があとを引くとすれば、それは国際社会における日本の評価ということになる可能性があります。
『「適度な距離」を保って、受け入れるべきである』と言うのが、曽野氏のコラムの題名でした。

2月11日は日本では建国記念日であり、愛国心について考え、それを称揚すべき日であるとしています。
一方で南アフリカの駐日大使は、2月11日がネルソン・マンデラ元大統領の(刑務所からの)解放記念日であり、今年はその25周年にあたっていると指摘しました。

http://www.economist.com/news/asia/21644496-japan-considers-welcoming-more-foreign-workers-its-shores-bestselling-author-calls-their?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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曽野氏の『提案』が現実になった場合の日本を想像してみました。
若い東南アジア出身の青年が初めて日本にやって来て、東京またはどこかの大都市の整然とした街並みに見入り、希望に胸を膨らませる。
付き添っていたガイドが彼、または彼女にこう話しかける。
「どうだ、いいところだろう…でも、おまえたちが住むのはここじゃない。」
映画だとこの後、彼、または彼女は臭気ふんぷんたるスラム街に連れて行かれるわけですが、国の政策として受け入れる以上、そこまでの事は無いでしょう。

しかし差別も区別も、そして隔離も同じ人間同士でしていい行為だとは思えません。
私はあるきっかけで、東北大の医学部に留学していた年下の中国人医師と親友になりました。
きっかけは『並みの中国人より』中国の歴史に詳しい私に彼が驚くとともに、うれしく思った事だと後に彼が語りました。
彼は魯迅の『藤野先生』を読み、留学するなら仙台が良いと思ったそうです。

互いに前向きな気持ちがあれば、国籍や言葉が違っても親友になれる。
なのに、まず初めにハザードを作ってしまったら、どうにもなりません。

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【 自由と平等の戦士よ、安らかに眠りたまえ… 】《再掲載》
ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領、95歳で死去

アメリカNBCニュース 2014年12月5日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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ニューヨーク、ブルックリンの南アフリカ・レストランで、ネルソン・マンデラの死を悼む人々。(写真上)

ネルソン・マンデラは、1918年に、南アフリカのイースト・ケープの小さな村で生まれました。
1950年ごろ、アフリカ民族会議(ANC)青年部を設立して6年後のマンデラ。(写真下・以下同じ)
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1956年、国家反逆罪の審判のため法廷に向かうネルソン・マンデラ。この時は4年間の審理の後、告訴が取り下げられました。
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1958年、2番目の妻、ウィニー・マディキゼラとの結婚写真。2人の娘を設けたが、1996年に離婚。
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1961年にアフリカ会議(ANC)で演説するマンデラ。1960年にANCは非合法化され、マンデラは地下活動に専念。軍事教練を受けた後、海外で支持を集めるために1962年に南アフリカを離れました。
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1964年6月、逮捕され、法廷で終身刑を言い渡されたマンデラは、囚人護送車の鉄格子の間からこぶしを突き上げ、闘争継続の意思を露わにしました。
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1998年3月27日、18年の間投獄されたロッベン島の第5号監獄で、アメリカのビル・クリントン大統領と談笑するマンデラ。クリントンは「信念を捨てる」ことなく、獄中生活を耐え抜いたマンデラを誉め称えました。
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