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【「私は戦争中の日本人を決して許さない!」泰緬鉄道から長崎まで:地獄を歩かされた英国人70年目の告発】《3》GRD

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所要時間 約 8分

忘れてしまいたいのに忘れられない、福岡の炭鉱での残酷無比の強制労働…3人に1人が死んでいった
洗濯を命じられた強制労働現場の落盤事故で死んだ親友の作業服には、脳の組織の一部がこびりついていた
何かあればすぐに暴力…日本人は私たちを殴りつけるための棒を、常にその手に握っていた

ジ・オブザーバー / ザ・ガーディアン 7月26日

from Bruma
次に彼が連行された先は日本の本土でした。
日本の南にある九州・福岡にあった捕虜収容所に入れられたブラス氏は、近くにある炭鉱で強制労働を強いられました。
それは『極めて危険な』仕事でした。
真っ暗な中で煤だらけになり、耐えず死の危険と向かい合っていなければなりませんでした。

この間、ブラス氏は青空を見ない生活を続けました。
捕虜収容所の中にはノミがいっぱいいて、夜もろくに眠ることが出来ませんでした。

ここでも捕虜は3人に1人の割合で死にました。
ブラス氏の親友も死にました。
彼は地下の湖がある区域でドリルを使って掘り進む仕事をさせられていましたが、その真上に屋根が崩落して命を落としました。

「私は彼の服を洗濯させられました。」
ブラス氏が語りました。
「その服にはかれの脳の一部がこびりついていました。」

ここまで語ったブラス氏が私の方を見ましたが、その口元には疲労の色がありありと見てとれました。
彼は沈黙しました。
痛々しい表情がその顔に浮かんでいます。
その事を口にすべきかどうか、心の中で葛藤が起きているようでした。

捕虜収容所03
追い込まれた状況の中、生きのびるためにブラス氏が選んだ方法は、
「最低限の事だけをする事でした。しかしサボタージュなどは論外でした。こんなことはもう忘れてしまいたいのですが、鉱山での労働はそれはひどいものでした。話にならない程の重労働でした。そして日本人は私たちを殴りつけるための棒を、常にその手に握っていました。」

しばらくするとブラス氏はひどい黄疸にかかり、医務室に転属になりましたが、そこではすでに医師の見習いの兄が働いていました。

彼は病院の用務員になり、鉱山を脱出する機会を窺っていましたが、収容所での生活は過酷で厳しく、脱出する機会は巡って来ませんでした。

「何か問題が起きると、日本人は私たちを一人ずつ別の人間と向かい合うようにして一列に並ばせ、互いに殴り合うよう命令しました。殴り方が弱いと日本人がその男を棒で殴りつけ、もっと強く殴るよう命令しました。」
こう話すブラス氏の目は曇りがちになり、疲労の色が濃くなっていました。
「仲間同士で、殴り合うよう強制されたのです。」

しかし捕虜たちが恐れていたのはこうした日常の散発的な暴力ではなく、日本軍という組織が行なう、もっと残酷な暴力でした。
「それは組織化された最終的な打撃であり、その人の命はそこで終わるという事を誰もが認識していました。
しかし具体的にどうなのかは誰も知る者は無く、そのため恐怖は層倍のものとなりました。」

捕虜収容所04
捕虜たちは警備の日本兵の前を行きすぎる際、お辞儀をして「こんにちは」とあいさつすることを義務付けられていました。
急いでバケツ2杯の水をサナトリウムに運ばなければならなかった時、ブラス氏はこの『きまり』を忘れてしまい、残忍な目に遭わされました。
「この警備兵は、全身があざだらけになるまで私を殴り続けました。」
この話をブラス氏は淡々とした調子で語り、苦痛の表情を浮かべたり、不正義に怒りを露わにしたりはしませんでした。
彼はすぐにこの時、唯一の救いだったという事実に、話題を転じました。
「ただこの警備兵は私の睾丸を蹴ろうとだけはしませんでした…やろうと思えばいつでもできたのですが。馬鹿な話だとお思いになるでしょうが、私はそこに彼の人間性を垣間見たような気がしたのです。彼は私を徹底的に殴りましたが、睾丸とみぞおちだけは蹴ったり殴ったりしようとはしませんでした。」

リポーターである私は、ブラス氏にこう言いました。
絶望的としか言いようのない環境の中で、さらには自分に対してひどい暴力を加えている相手の中に何がしかの光明を見出していたブラス氏という人間に、多くの人は驚くしかないだろうと。
「その頃私は神の存在を信じていました。非常に信心深い人間でした。多分その事が心の支えになっていたのだと思います。」

捕虜収容所01
しかし彼は青年になったばかりの自分が、なぜこんなむごい目に遭わされているのだと考えなかったのでしょうか?
他の誰でもなく、なぜ自分なのかと?

「その当時は神の存在を疑うなどという事は考えもしませんでした。」
質問に対するブラス氏の答えはこうでした。
「しかし今は違います。私の考えは完全に変わりました。」

現在、ブラス氏は自分自身を無神論者と考えています。

しかし日本軍の捕虜になっていた当時は、信仰は生き続けるための唯一の支えでした。
仲間の囚人たちの多くが絶望のあまり生きる気力を失っていったのとは異なり、ブラス氏は決して死にたくなかったと語りました。

《4》に続く
http://www.theguardian.com/world/2015/jul/26/nagasaki-man-who-walked-through-hell-jan-bras
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【 今日の報道写真から : 8月6日 】

アメリカNBCニュース 8月6日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

DAY01
南部ガザ地区のラファで昨年夏に侵攻してきたイスラエル軍が遺棄して行った弾薬の爆発により負傷、ナジャルの病院で治療を受けた少年。
病院関係者によれば、4日少年の家族4人がこの爆発で死亡、他に13人が負傷しました。(写真上)

8月6日にスイス、アルプス山脈のフルカ峠の近く、融解を食い止めるためカンバス地の覆いをかけられたローヌ川の氷河。(写真下・以下同じ)
DAY02
カリフォルニア州クリアレイク、山林火災によって燃え尽きてしまった家屋と自家用車。
4日州の担当官は、山林火災は鎮火に向かいつつあるが、避難している人々が自宅に戻れるようになるまでは尚数日を要する見込みであると語りました。
day04
スペイン北部のアルゲへダスの通りを駆け抜ける雄牛のレースを観戦する少年。
このレースは守護聖人聖エステバーンに捧げられる伝統行事です。
DAY05
ミャンマーのイラワジ地区を豪雨が襲い、洪水が発生したためボートを使って移動する村民。
Day06
広島に原爆が投下されて70年目の日、市内の川に灯ろうを流し祈りを捧げる男性。
この日世界中から数千人が参加して開催された記念式典は、平和憲法から離れ、軍事力の増強に向かおうとする日本の姿勢を浮かび上がらせる場となりました。
Day07
http://www.nbcnews.com/news/photo/today-pictures-august-6-n405561

 

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