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実録『トモダチ』作戦・第1部 [第2回]アメリカ側の緊急対応の提案を、ことごとく潰した日本の官僚たち

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所要時間 約 9分

アメリカ軍の観測記録が暴く、福島第一原発・汚染の真相
817,000ベクレルに汚染されてしまったヘリコプター

ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 2013年1月31日

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「私たちは結局80日間その場所に居ました。近い時は日本の海岸線から3キロ沖合にまで接近し、また離脱することを繰り返していました。
風向きや風の強さを見ながらそれを判断していましたが、まるで猫とネズミの追いかけっこのようなものでした。
私たちは日本の人々が助けを必要とする都度沿岸に接近し、その場に留まりつづけました。
しかしそのことで我々は別の危険にさらされる事になったのです。
東京電力が汚染の恐れはないと伝えてきた場所で放射性物質を確認した私たちは、直ちに避難に移り、常にガスマスクを持ち歩くようにしました。」

放射線に関する正確な情報を、適切なタイミングで受け取ることが出来なかった点において、陸上に居たアメリカ人も海上と変わりませんでした。

アメリカ原子力規制委員会のグレゴリー・ヤッコ委員長は、すべてのアメリカ人を福島第一原発の周囲80キロ圏外に避難させる対策を実行するよう迫りました。

そして福島第一原発の南約300キロの地点にある横須賀にある米海軍基地では、環境中の放射線量が上昇し続けるのを見て、国防総省が女性と子供たちを横須賀から避難させました。

正確な情報を手に入れることは困難を極め、その事態は危機の発生に対応できない日本の官僚機構により、悪化する一方でした。
アメリカの憂慮する科学者連盟の原子力発電の2人の専門家、原子力規制委員会と産業界のコンサルタントを務めるデヴィッド・ロックバウムと核物理学者のエド・ライマン博士は、状況が混乱を極めていた間、膨大な数の政府機関の電子メールと交信記録をチェックし、一時間ごとにデータベースを更新して行きましたが、それでも決定的な情報を手にすることはできませんでした。

4号機キャップ
「爆発の後、原子炉4号機では使用済み核燃料プールの中に、充分な量の水を確保できなくなっていました。」
ロックバウムがこう語りました。
「そこでアメリカ軍は、オーストラリアに置いてあったコンクリート製の揚水機構を備えたトラックを、東北地方にある米空軍基地まで空輸してきたのです。ところが日本政府は、そのような特殊車両が日本の公道を走ることに許可は出せないと言い出したのです。結局この車両は基地の中に放置されることになりました。」
「何が最優先事項なのか、もはや正しい判断を下せなくなっていたようです。」

「日本の文化は交響曲の演奏により近いのではないでしょうか。誰もが指揮棒の下で統一された行動をとることを求められるようです。これに対してアメリカ社会は、ジャズのアンサンブルに近いでしょう。全員が一緒に演奏していますが、即応性を重要視していますから。」

日本政府からも、東京電力からも、正確で統合性のある情報を得られないことは、アメリカが行おうとする救援活動の大きな妨げとなりました。

マイケル・セバーン整備主任

マイケル・セバーン整備主任


福島第一原発から約100キロ南にある厚木米空軍基地で、ヘリコプター部隊の上級主任整備士を務めるマイケル・セバーンが当時を振り返り、こう語りました。
「地震と津波が襲った後、私たちは仙台と福島への救援活動の拠点となる青森県の三沢基地に、部隊ごと一日で移動するよう命令を受けました。そして私たち以外の部隊すべてはグアムまで避難して行きました。その段階では厚木の米軍基地は閉鎖の上、二度と使用できなくなる可能性が高かったのです。私たちは自分の車のダッシュボードの上に、氏名と携帯電話番号を記したメモを置いていくよう命じられました。二度と自分の車を取りに戻ることが出来なくなる可能性があったからです。」

「私たちは三沢に3週間半滞在し、一日も休むことなく働き続けました。出動に次ぐ出動、その繰り返しの中で、私たちの部隊は被災者の救出・救援、フェリーを使っての援助物資の供給などの任務をこなしていきました。
2、3名の技師が帰還した兵士ひとりひとりの、被ばく線量を検査していました。
着用していた戦闘服を切り取って、捨てなければならないケースが続出していました。」

セバーン自身は3日間グアムに派遣されて特別訓練を受け、即席の放射線量の測定技師になりましたが、その任務も簡単なものではありませんでした。

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「まったく経験したことが無い、前代未聞の出来事でした。」
「放射線に対処する任務など、初めての事でした。見るもの聴くものすべてがはじめての経験であり、誰も何もわかりませんでした。私たちはかつて化学兵器、生物兵器に対処するための訓練を受けた経験はありました。しかし放射線に対処するための訓練は受けたことがありません。核兵器に関しては別に専門部隊が居ますが、私はその部隊経験もありません。空軍関係者で放射線に対処する経験を持った者などいないのです。放射能で汚染された航空機を取り扱った経験など、誰も持っていません。まさに暗闇に向かって飛び立つ思いでした。」

セバーンが属する整備士のグループには規則が設けられました。帰還したヘリコプターはすべて放射線量についてスキャニングを行い、汚染された部品は取り外した上、駐機場の外れに隔離して設置されている、水を満たした専用のコンテナに収納すること。

折から三沢では雪が降り始めたため、部隊は距離的にも福島に近い厚木基地に戻ることになりました。
この間、セバーンは各種の電子測定器を使って各種の放射線量を図り、一分ごとの訂正済み測定値として記録する作業を続けていました。

「通常、外部の放射線量は5~10cpmです。この放射線は主に太陽からのものです。」
彼がこう語りました。

米軍 9
「厚木の大気中の放射線量は200~300cpmありました。あらゆる場所が、でした。水からも放射線が検出され、地面からも放射線が検出され、地面からも放射線が検出されました。」
「規則では500cpmを超える放射線量が計測された物を取り扱う場合は、専用の手袋を装着しなければなりません。1,000cpmを超えた場合は放射線防護服を着用しなければなりません。そしてもし5,000cpmを超えたら、その時は防護服、専用のマスク、ゴーグルを装着し、手袋を二重にはめる必要があります。
「汚染されたラジエターを、再びヘリコプターに装着することは許されません。交換しなければなりません。私はあの時、60,000cpm(81万7千ベクレル)に汚染されたラジエターを取り外したことを憶えています。」

そしてとうとう、放射線から身を守る装備が不足する事態に陥ってしまったのです。
〈 第1部・第3回へ続く 〉

A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 1 Radioactive Contamination of American Sailors
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この記事を読んで思い出したのは、かつて翻訳したニューヨークタイムズの記事の中の一節です。
「日本の官僚は、強大な原子力ロビーの反発を恐れ、国民を守る事より、自分を守ることが先になっている」( http://kobajun.biz/?p=2035 )

この記事の中でも、アメリカ軍が救援活動の『実を上げるため』申し出を行ったにも関わらず、日本側が自分たちの体面・立場を守るため、その申し出をはねつけた事実が語られています。

そしてそのために、懸命の救援活動を行ったアメリカ軍将兵の安全もまた、軽視されてしまったことが解ります。
日本の官僚たちはその点だけは徹底している、痛感させられました。

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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