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「常に権力の側に立ってしか、ものを考えない、日本の報道各社」

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所要時間 約 9分

【『福島の50人のサムライに会いたい?! 残念ながら、それは…』】
「心ある人々」に背を向け、権力におもねる日本のマスコミ
自分も権力の側にいるつもり?! だから正しい現実認識の役には立たない、日本の大手各社の報道

エコノミスト 10月8日


かつて『フクシマの50人(のサムライ)』として、制御を失い暴走を続ける原子力発電所を相手に、命を危険にさらしながら事故に立ち向かった福島第一原発の緊急作業要員に対し、日本政府が感謝の意を表明するまで、18ヶ月という時間がかかりました。

しかし10月7日、野田首相が遅ればせながら改めて正式に感謝の意を伝えたとき、一方では何か奇妙な空気があたりを支配していました。

その場にいた8人の緊急要員のうち、6人までが取材のためその場にいたテレビカメラに背を向け、写真に撮られることを拒否しました。
そして誰に対しても、野田首相に対してすら、一切自分たちの名を明かすことをしませんでした。

これら緊急時に働いた人々は、福島第一原発の事故に関わり合ったことで、その子供たちや孫たちなどがいじめの対象になることを恐れ、自分たちの名を明かしたくなかったのだという事を、政府側も東京電力側も暗に認めました。

しかし、別の推察も成り立ちます。
国有化されたばかりの東京電力が、これ以上評判を落とすことを恐れて、彼らの口を封じている可能性があります。
私が自分の名刺を差し出しながら作業要員の人たちの口から直接、彼らなりの見方について話が聞けるかどうか尋ねたところ、明らかにいらだった様子の東京電力の社員が強い口調でこう答えました。
「できません!」

福島第一原発の事故について様々に検証を受けることにより、これ以上不都合な事実が次々に明らかになったのでは、日本政府も、東京電力もたまったものではありません。

まず挙げなければならないのは、事故発生後、第一線で事故処理に取り組んだ作業員の献身的姿勢と、経営を担当していた役員層の偽善的姿勢との、あまりに明らかな違いです。
当時東京電力の会長だった勝俣恒久氏のことを(日本にとって幸いなことに、今は退任していますが)思い出してください。
今年始め、勝俣会長は国会の証言の場で、自分は悪くない、悪いのは自分以外の全員であると、誰かまわず冷然と批判しました。

勝俣会長が経営する会社に忠誠を誓い、命がけで事故と戦った人々は、事故を起こし、その収束が進まないことを恥じて、その身を隠そうとしているのに、です。


日本政府の一部の人間が、現場で命がけで敢然と働いた人々と、後方にあって私利私欲のことばかりを考えていた、臆病な人間とをきちんと区別して扱わなかったことで、現場で戦った人々は著しく不利な位置に追いやられてしまいました。

公平な市民目線において、この2者を混同すべきではありません。

2010年にチリで起きた、33人の鉱山労働者が行動に閉じ込められた事件では、両者の違いははっきりしていました。
すなわち、仲間同士支え合いながら闘った英雄と、安全対策を怠っていた避難されるべき経営層。
しかし、日本では両者を切り離して評価することはありませんでした。
この点について、日本政府のある職員がこう語りました。
「これがアメリカだったら、『フクシマの50人』は大統領によって直接、ローズガーデン(ホワイトハウスにある庭園)に招待されたことだろう。」

しかし日本の現実は違います。
野田首相の訪問の後ですら、命がけで働いた男たちがふさわしい扱いを受けることはありませんでした。
日本の共同通信社は彼らが語ったあらゆる話を、汚染の除去に関するありきたりな、どうでもいいような退屈な話にしてしまったのです。


しかし日本ではたった一紙、英字新聞のジャパン・タイムスが、8人のうち2人にしか話を聴くことが出来なかったことについて言及はしませんでしたが、当時の恐怖に満ちた彼らの体験の一部を今日に伝えています。
野田首相に話したときと同様、彼らは決して自分たちを英雄扱いはしませんでした。
語るところは、とにかく恐怖に苛まれていたことだけのようにも受け取れます。

一人は2011年3月11日、津波によって全電源喪失に陥った際、
「これでもう、すべてが終わりだ…」と思ったと語りました。

もう一人は、メルトダウン寸前の原子炉一基の電源を何とか回復させるため、高圧電量の感電の危険を押して、真っ暗な現場にスタッフを送り込んだ際のことについて話してくれました。
彼は部下の一人に、作業向かう人間が生きて戻れると思っているのか、と尋ねられたと言います。


そのような状況の下、彼らは作業に向かったのです。

この会見について伝えた日本の報道において、見出しに現れたのは『フクシマの50人』ではなく、野田首相だけでした。
こうした報道のおかげで、野田首相は現場で戦った人々について通り一遍の認識しか持っていなかったにもかかわらず、国民の側からある程度の評価を得ることになりました。
「あなた方の献身的取り組みに感謝します。おかげで『私たちは』日本を危機から救い出すことが出来ました。」

これこそ現代日本の、悲劇的側面の一つです。

日本の報道は常に権力の側に立ってものを考え、ほとんどの場合、正しい現実認識の役には立ちません。

フクシマの最前線で懸命に働いた男たちは、頭を垂れさせられたまま、事件の片隅に追いやられようとしています。
彼らの懸命の作業については、そこに誰がいたのかも明らかにされる事が無いまま「その他大勢」として扱われ、最後には忘れ去られる運命にあります。

http://www.economist.com/blogs/banyan/2012/10/japans-nuclear-disaster
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『わが意を得たり!』というのが、この記事を読み終えた、いや、翻訳し終えた後の感想です。

世界標準の『報道』とは、権力からも、市民感情からも一定の距離を置き、『知』を代表する立場で冷静な、しかし良心的な情報伝達をすることです。
しかし日本国内の報道、特に一部の大手テレビ局や新聞社の報道は、『権力者の腰巾着との謗り』を免れないと、英国の『知』を代表する良心的報道機関が批判しています。

今回の総選挙に関する、上記マスコミの報道には、良心どころか『大衆扇動』の臭いすら感じられます。

軍備の増強、憲法の改編、原発の是非、これらの問題は国民の生活の根幹にかかわる重要なことです。
それがまるで政党間ののレース予想の判断材料程度の扱いであり、これでは本当に『正しい現実認識の役には立たない』、まったくその通りです。

『猛省を求める』、そんな表現がありました。
しかし、彼らは反省するつもりなど無いでしょう。

本当の政治はどこにあるのか?!

それと同時に私たちは、

本当の報道はどこにあるのか?!

見極める必要があると思います。

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【 冬景色 】

アメリカNBCニュース 12月4日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

スイスのサンモリッツ郊外。12月1日。

(訳者)私が住んでいるのは仙台市ですが、男のくせに冷え性で、12月~2月の季節は要らない、とまで思う事があります。
と言っても仙台の冬は、盛岡市や北海道と比べて『厳寒』というほどではなく、仙台市内に限って言えば、あたり一面が雪に覆われる様な日は、一年を通じて数日に過ぎません。
しかし、寒がりの私にとっては、やはり快適な季節とは言えません。

という訳で、実は冬景色については感覚的には苦手なのですが、それでもここに掲載した写真には思わず見入ってしまいます。


ドイツ西部のフロイデンベルク。12月2日。


ドイツ中部のタバルツ。12月3日。


ウクライナの首都キエフ。12月3日。


スイスのウンターヴァーツ。12月2日。

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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