星の金貨 new

星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

ホーム » エッセイ » 大量の東日本大震災のがれき漂着に、苦悩するアメリカ

大量の東日本大震災のがれき漂着に、苦悩するアメリカ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 12分

【東日本大震災のがれき、アラスカに大量漂着】

アメリカCNNニュース 5月23日

アラスカ州ヤクタット湾(CNN)-アラスカパンハンドルの町の住民たちが、2011年に発生した東日本大震災により海に投げ出されたペットボトル、包装用の発泡スチロールの破片、浮いているブイなどを拾い始めました。
「これはウレタン・フォームを作るためのスプレー缶です。」
アラスカの湾岸地区の環境保護活動を行っているグルプのリーダーを務めるクリス・パリスターさんが、ジュノーの200マイル(320km)北方にある離島モンタギュー島に散らばる漂流物を拾い集めながら、こう語りました。
「これほどのごみが散乱しているのを、見たことがありません。しかしこの島の海岸を一周すれば、もっと大きなゴミを見つけることになります。」

2011年3月に日本の東北地方を襲った巨大地震によって発生した巨大津波は、確認された遺体の数だけで16,000という甚大な被害をもたらしましたが、太平洋岸の大量の建物その他を海に叩き込みました。
がれきと化したこれらの漂流物は、14カ月をかけて北太平洋の4,000マイルの距離を横断し、この場所にやって来たのです。

パリスター氏のようなボランティアは、モンタギュー島などの離島にも、清掃活動のため長い距離をものともせずにやって来ます。
しかしこれらの人々も、150万トンと見積もられるがれきがアメリカ西海岸、中でも北部諸州の海岸に一斉に打ち上げられるようなことになれば、ボランティアだけではとても処理しきれないと懸念を深めています。


写真 : 巨大地震が日本の東北地方に、信じられないほどの破壊をもたらしてから1年以上が過ぎました。
そしてその時海に投げ出されたものと思われる大量のがれきが、4,000マイル(約6,400キロ)離れたアラスカに漂着しています。
発泡スチロールのかたまりが小さな破片となり海岸に打ちあげられていますが、野生の動物たちがエサと間違えて食べてしまう可能性があり、食物連鎖により被害が拡大する恐れがあります。
「小さな魚などがこうした物を食べてしまう可能性がありますが、体内に入れば栄養どころの話ではなくなります。」
こう説明するのはヤクタット湾鮭漁業組合のビル・ルーセイです。
「こんなものを食べれば死んでしまうか、弱ってしまって簡単にもっと体の大きな鳥類や魚類の餌にされるか、または自然界に適合していくことが出来なくなってしまいます。」

日本政府の当局は、海に投げ出されたがれきのうち、最高で70%が海底に沈んだものと見積もっています。
しかし、小さなものでは子供たちのおもちゃに始まり、大きなものでは4月にアラスカ沖で米国沿岸警備隊によって沈没させられたイカ・トロール船に至るまで、これまで1カ月以上に渡りアメリカ合衆国とカナダの沿岸に漂流してきています。

パリスター氏のような環境保護に携わる人々が心配するのは、小さな破片となった発泡スチロールです。彼らの推計では、数十億に上る破片が付近一帯に漂着、あるいは漂流しています。
「アホウドリやその他の海鳥は、あっという間にこうした物を食べてしまいます。後で命を失うことになるとも知らずに…」

アラスカ州では官民挙げて合衆国政府の援助を求めてきました。
しかしアメリカ海洋大気局は先週、付近一帯の清掃事業を行うための予算を持っていない、と発表しました。

海洋大気局による漂流物の回収清掃計画は、オバマ政権が議会に提出した予算案より25%の大幅カットに直面しており、清掃事業はただでさえ資金繰りが苦しく、すでにこの対策の費用ねん出に苦しむアラスカ州にとって、深刻な問題に発展する可能性があります。

先週上院における公聴会で、海洋大気局の海洋担当のデービッド・ケネディは、2013年以前には大量のがれき漂着は無いものと予測していた、と語りました。
その上で沿岸の清掃作業に要する費用が「信じられないほど高額にある」と語りました。
「離島に行くための船舶を用意しなければなりません。そして必要な人員の手配。その後回収したがれきをどう処分するかという問題も残ります。軽々に手をつけるわけにはいかないのです、特に遠隔地については。さらに新たな大量のがれきが漂着し、何か特別な理由が生じて何としてもそのがれきを取り除く必要性が認められない限り、着手は不可能です。」

上院の公聴会を主催した商業小委員会の委員長で、アラスカ州選出のマーク・ベギーチ上院議員は、海洋大気局のこうした見解について
「少しばかりいらいらさせられる。」と語りました。
「非常事態に臨んでは、州の対応をサポートするのが合衆国政府機関の務めのはず。それを『それは州の仕事であって、われわれは関係ありません。とりあえずは幸運を祈りますよ。』と言うのは到底許されない行為だ!」
民主党上院議員のベギーチはケネディに対し、こう決めつけました。

http://edition.cnn.com/2012/05/22/us/alaska-tsunami-debris/index.html?iref=allsearch
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

「あれ、この話題一回掲載済みでしょ?!」というお叱りをいただきそうですが、確かに同じ話題を取り上げたアメリカABCニュースの記事をご紹介済みです(http://kobajun.biz/?p=2501)。
が、漂着したがれきの映像を詳しく伝える映像が添付されているので、CNNニュースの方もご紹介することにしました。

そしてピンクフロイド。
ロジャー・ウォーターズは今こんななんだ、と驚いたというか…
私はこの記事を書いたライド氏より4歳ほど年長のようですが、ロックミュージックの黄金期をリアルタイムで経験したことは同じです。
ピンクフロイドの『Dark Side of the Moon(邦題 : 狂気)』が発売されたのは高校2年の夏、それまで彼らの最高傑作とされていた『Atom Heart Mother(邦題 : 原子心母)』よりはるかにわかりやすく、ドラマティックで、しかも音楽的にも優れ、大感動、大興奮したことを覚えています。

プログレッシブ・ロックというジャンルが確立したのは、このピンクフロイド、イエス、エマーソン・レイク&パーマーがそれぞれ大ヒットアルバムを発表した1970年台前半だと思いますが、イエスのジョン・アンダーソンやEL&Pのキース・エマーソンが間違いなく『音楽家』であったのに対し、ピンクフロイドのロジャー・ウォーターズにだけは何か底知れないものを感じていました。
ピンクフロイドの作るのは音楽というより、別次元世界、といった感があったからでしょう。

ピンクフロイドの最高傑作は『Dark Side of the Moon』という評価は今も変わらないようですが、私自身のお気に入りは『雲の影』というあまり目立たないアルバムです。

ところでロジャー・ウォーターズの記事は下記に掲載した分で終わりではなく、A4で5ページほどの長い長いインタビュー記事があるのですが、機会があったら翻訳し、皆さんにご紹介します。

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

「私がピンクフロイドをやめたわけ」ロジャー・ウォーターズ

ライド・コリンズ・ジュニア / アメリカCBSニュース[60分] 5月20日「やめざるを得なかったからだよ、他に理由なんかあるのかい?」
これはCBSのステイーヴ・クロフトが元ピンクフロイドのメンバー、ロジャー・ウォーターズに、世界で最も成功したロックバンドのひとつ、ピンクフロイドをその誕生から解散までの経緯についてインタビューを行った際、あまりにしつこく尋ねるクロフトに、ウォーターズが多少いらだちながら返した答えです。

私は確かに今回の[60分]の番組の中、ロジャー・ウォーターズと彼が再開した『ザ・ウォール』のツアーに関するインタビューの一分一分を楽しむことができました。
私は随分長くピンクフロイドのファンを続けているものですから…
私はこれまでピンクフロイドの解散の裏に、どのような経緯と出来事、そして理由があったのか、ずっと興味を抱いてきました。こうした興味はそう簡単になくなるものではありません。あきらめることなんかできないのです。
それが今回明らかになりました。そう、スティーヴ・クロフトが私たちに変わり、ロジャー・ウォーターズから真相を聞き出したのです。

私が13歳だった夏、ピンクフロイドの『Dark Side of the Moon(邦題 : 狂気)』が発売されました。
私が10代過ごした際、そのBGMとして常にピンクフロイドの音楽が流れていた、と言って差支えがありません。
私は『Wish You Were Here(邦題 :あなたがここにいてほしい)』のような熱烈な恋には落ちなかったかもしれませんが、人生の『Dark Side』を知った時の経験はつらいものでした。
仲の良い友人2人と私は、『Animals(邦題 : アニマルズ)』のツアー中のピンクフロイドのコンサートを、1977年7月4日(アメリカの独立記念日)にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで見ることが出来ました。
そして大学に進学、そこで私は『ザ・ウォール』、まさに壁に突き当たったのでした。

解散によってピンクフロイドというバンドがもうこの世には存在しなくなった頃、私はすでにアメリカCBSテレビで働くようになっていました。解散の正確な日時にももう関心が無かったかもしれません。
しかしほかの多くのピンクフロイド・ファン同様、その音楽は聴きつづけてきました。
私の一番のお気に入りはアルバム『アニマルズ』の中の『シープ(ひつじ)』という曲です。

精神に異常をきたしたためにピンクフロイドを去らなければならなくなった創立メンバーのシド・バレットの名前は特別な響きを持ち続けました。
1977年7月4日のコンサートの際、私の隣にいた友人の一人は、20台前半で精神分裂症を発症してしまいました
その時、私は心の奥深くで『Dark Side of the Moon』と『Wish You Were Here』のアルバムに込められた思いを理解したのでした。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この記事に関連する記事一覧

このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
最近の投稿
@idonochawanツィート
アーカイブ
カテゴリー
メタ情報